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『吾妻鏡』によると・・・ 1194年(建久5年)7月29日、源頼朝の長女・大姫が危篤状態に。 八方手を尽くしても快復しなかったことから、頼朝は行基菩薩の霊場日向山へ参詣を思い立ち、「この国に2つとない効験のある薬師如来」に祈願することにしたのだという。 8月8日の早暁、馬に乗り水干を着て日向山へ向けて出発。 【先陣の隨兵】 畠山重忠 土屋義清 八田知重 曽我祐信 足立遠元 比企時員 渋谷重国 岡崎政宣 三浦義連 梶原景季 加々美長清 里見義成 北条時連 小山朝政 【太刀持ち】 結城朝光 【弓矢持ち】 愛甲季隆 【御後】 平賀義信 藤原憲信 足利義兼 新田義範 関瀬義盛 大江広元 下河辺行平 下河辺政義 千葉胤正 千葉胤頼 三浦義澄 三浦義村 稲毛重成 葛西清重 八田知家 佐々木経高 佐々木盛綱 加藤景廉 大江能範 和田義盛 梶原景時 北条義時 【後陣隨兵】 武田信光 榛谷重朝 小山宗政 江戸重長 長江明義 梶原景高 相馬師常 小野成経 仁田忠常 下河辺光脩 伊賀朝光 千葉常秀 梶原朝景 佐々木義清 大江広元が下毛利庄で弁当を献上し、薬師如来に祈願した後、夜中に帰還。 本来であれば終夜祈願すべきだが、8月15日に鶴岡八幡宮の放生会があるため、こう判断したのだという。 |
日向薬師の大太鼓は、大姫の病気治癒祈願に参詣した源頼朝が奉納したものと伝えられている。 |
日陰道 |
駒つなぎの松 |
日陰道は、頼朝が歩いたという日向薬師の参道。 駒つなぎの松は、頼朝が馬を繋いだという松。 |
1184年(元暦元年)4月、大姫は頼朝に婚約者だった木曽義高を殺されたことで病気となり、生涯治ることはなかったのだという。 岩船地蔵堂の石造地蔵尊(岩船地蔵)は、大姫の守本尊と伝えられている。 |
清水八幡宮 (狭山市) |
木曽塚 (鎌倉・常楽寺) |
木曽義高は木曽義仲の嫡男。 1184年(元暦元年)、義仲を追討した頼朝は、鎌倉に人質として預けられていた義高も誅殺。 清水八幡宮は、義高終焉の地に建てられた義高を祀る社。 鎌倉の常楽寺の裏山には、義高の首が葬られているのだという。 |
日向薬師は、716年(霊亀2年)に行基によって開かれた霊山寺をはじまりとする。 鎌倉時代には源頼朝も参詣した。 |
伊勢原市日向1644 0463−95−1416 小田急線「伊勢原駅」より『バス』日向薬師行き終点下車すぐに参道あり |
源頼朝ゆかりの大山寺・日向薬師・飯山観音を巡る |
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