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1030年(長元3年) |
源頼義が平忠常の乱を平定。平直方から鎌倉の地を寄進される。 |
1063年(康平6年) |
源頼義が京都の石清水八幡宮を鎌倉由比郷鶴岡に勧請する。 |
1081年(永保元年) |
源義家が由比若宮の社殿を修復。 源頼義は、平直方の娘を妻とし、甘縄神明神社で祈願して子の義家を授かったと伝えられている。 大町の八雲神社にゆかりのある新羅三郎義光も頼義の子。 |
1145年(天養2年) |
源義朝が亀ヶ谷(現在の壽福寺のある所)に住む。 源義朝は、1144年(天養元年)、鎌倉権五郎景政が開拓した大庭御厨に乱入した。 |
1156年(保元元年) |
保元の乱で、源為義と源義朝が争い、為義は敗れて処刑された。 保元の乱で源義朝は、父為義と戦うことになる。弟の鎮西八郎為朝は、父に付き戦うが、乱後大島に流された。 |
1159年(平治元年) |
平治の乱が起こり、源義朝が平清盛に敗れる。翌年、頼朝が伊豆国へ配流。 |
1180年(治承4年) |
源頼朝の挙兵。鎌倉入り。 由比郷鶴岡の由比八幡(元八幡)を小林郷北山に遷す。 |
1182年(養和2年) |
北条政子の安産祈願のため若宮大路が造営され、その中央には段葛が築かれる。 |
1182年(養和2年) |
北条政子の安産祈願のため若宮大路が造営され、その中央には段葛が築かれる。 |
若宮大路 |
段葛 |
1184年(寿永3年) |
範頼と義経が木曽義仲を討つ。一ノ谷の戦いで平家に勝利。 |
1185年(元暦2年) |
範頼と義経が壇ノ浦で平家を滅ぼす。 |
1189年(文治5年) |
義経が衣川館で自刃。 奥州征伐によって奥州藤原氏滅亡。 |
1191年(建久2年) |
火災により焼失した鶴岡八幡宮を再建。 |
1192年(建久3年) |
源頼朝が征夷大将軍に任命される。 |
1199年(建久10年) |
源頼朝死去(参考:旧相模川橋脚 源頼朝落馬の地)。 |
鎌倉と源氏 鎌倉幕府 梶原景時の追放 比企能員の暗殺・比企氏滅亡 畠山重忠殺害と北条氏の世代交替 北条義時の独裁と和田義盛 実朝の暗殺 |
源氏の繁栄・衰退・再興・滅亡(okadoのブログ) |
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