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源頼朝は、1198年(建久9年)12月27日、武蔵国稲毛(川崎市)を領していた稲毛重成が、亡き妻の冥福を祈るために行った「相模川の橋供養」に参列した。 その帰路、頼朝は落馬して、翌年命を落としたと伝えられている。 弟源義経、叔父源行家らや安徳天皇の亡霊に遭い落馬したとも伝えられ、『北条九代記』や『保暦間記』によると、義経の亡霊が現れたのは「八的ヶ原」(やつまとがはら)だったとされている。 鎌倉時代に弓の練習場として八つの的が置かれたことから「八的ヶ原」と呼ばれ、その場所は現在の藤沢市辻堂なのだという説がある。 稲村ヶ崎にも安徳天皇の亡霊が現れたという伝説が残されている。 辻堂には、源頼朝が勧請したとされる宝泉寺もある。 |
※ | 源頼朝が橋供養の帰りに落馬し、ほどなく亡くなったことは『吾妻鏡』にも記されているが、その詳細は定かではない。 |
源義経や安徳天皇の怨霊が・・・ |
茅ヶ崎市の旧相模川橋脚の遺跡は、稲毛重成が架けた橋と考えられている。 |
弁慶塚 |
御霊神社 |
鶴嶺八幡宮参道にある弁慶塚には、「橋供養から帰路に着いた頼朝の前に、源義経、行家らの亡霊が現れて落馬した」という伝説が残されている。 鎌倉権五郎景政を祀る御霊神社には、亡霊となって現れた源義経が合祀されている。 |
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