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寺院・神社に関する記述について、最も適当なものを1〜4から選びなさい。 |
(36) | 1860年(万延元),桜田門外で大老井伊直弼を襲撃した水戸浪士の一人,広木松之助がか くまわれ,後日,その境内で切腹して果てた寺は,次のどこか。 |
1 教恩寺 3 本興寺 |
2 別願寺 4 上行寺 |
1860年(万延元年)3月3日、攘夷派を弾圧してきた大老井伊直弼が襲撃されました(桜田門外の変)。 襲撃した者の中に広木松之助(水戸浪士)がいました。 襲撃後、松之助は材木座に逃れ、上行寺の住職を頼って匿ってもらったといいます。 桜田門外の変からちょうど2年後の3月3日に自害したのだといいます。。 |
(37) | 浄妙寺は,もともと極楽寺という密教系寺院として建立された。開基は頼朝の重臣足利義兼だが,開山はだれか。 |
1 兀菴(庵)普寧 2 大休正念 3 退耕行勇 4 南洲宏海 |
浄妙寺の開山は、源頼朝や北条政子が帰依した退耕行勇。 重源・栄西の跡を継いで東大寺の第三代大勧進職にも任じられた高僧です。 |
(38) | 伊豆で蛭ヶ小島に流されていた源頼朝の夢枕に,「かくれ里の稲荷」という神霊が立ち,挙兵を勧めた。頼朝はこの託宣に従い挙兵,戦いに勝利したという。のちに,この「かくれ里」の地で祠を見つけた頼朝は,だれに命じて社(後の佐助稲荷神社)を建てさせたか。 |
1 畠山重忠 3 和田義盛 |
2 工藤祐経 4 比企能員 |
佐助稲荷神社を建立したのは坂東武士の鑑といわれた畠山重忠。 |
佐助稲荷神社 |
畠山重忠 |
(39) | 近辺には長らく執権北条氏を補佐した安達一族の屋敷跡があり,ノーベル賞作家川端康成も近くに住んでいた神社はどこか。 |
1 龍口明神社 3 荏柄天神社 |
2 由比若宮 4 甘縄神明神社 |
源頼朝が伊豆に流されている頃から補佐してきた安達盛長は甘縄に屋敷を持ちました。 『吾妻鏡』にも頼朝が訪問している記事が残されています。 川端康成の『山の音』には、甘縄神明神社の様子が描かれています。 |
甘縄神明神社 |
安達盛長邸 |
(40) | 成就院と補陀洛寺には,ある僧の荒行の様子を表した独特の表情が印象的な瓜二つの像があるが,その僧はだれか。 |
1 日蓮 3 蘭渓道隆 |
2 文覚 4 無学祖元 |
源頼朝が伊豆の流人の時代から交流のあり、頼朝にに挙兵を勧めたという文覚です。 補陀洛寺と成就院の文覚荒行像は、横浜の証菩提寺の像を模刻したものと考えられています。 |
(41) | 収玄寺の境内にある「四条金吾邸址」という大きな石碑の文字はだれの手に成るものか。 |
1 高浜虚子 3 東郷平八郎 |
2 新田義貞 4 川端康成 |
日蓮宗の信者だったという東郷平八郎の揮毫。 段葛の鶴岡八幡宮の碑や江島神社の碑も東郷平八郎の揮毫です。 |
(42) | 次の神社を建立年代の古い順に並べるとき,正しい順序はどれか。 |
A 荏柄天神社 C 葛原岡神社 |
B 由比若宮 D 鎌倉宮 |
1 A→B→D→C 2 A→B→C→D 3 B→A→D→C 4 B→A→C→D |
荏柄天神社は1104年(長治元年)、由比若宮は1063年(康平6年)、葛原岡神社は1887年(明治20年)、鎌倉宮は1869年(明治2年)の創建。 |
荏柄天神社 |
由比若宮 |
葛原岡神社 |
鎌倉宮 |
(43) | 小町の妙隆寺について,次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。 |
1 | 有力御家人の千葉常胤の子孫胤貞の別邸跡に創建されたので,千葉屋敷とも呼ばれる。 |
2 | 1385 年(至徳 2・元中 2),千葉胤貞が,中山法華経寺から日東を開山として迎え,七堂伽藍を建立,寺は鎌倉における中山門流の中心となった。 |
3 | 第二世日親は,「立正治国論」で将軍足利義教の怒りを買い,灼熱した鍋を頭に被せる 厳しい拷問にも耐え抜いて信仰を守り抜いたことで,「鍋かむり日親」と呼ばれた。 |
4 | 広島で被爆死した「新劇の團十郎」こと丸山定夫の当たり役であったモリエール作の戯曲「守銭奴」の主役アルパゴンの衣装を纏った姿を刻んだ石碑がある。 |
妙隆寺の開山は日英。 |
(44) | 鎌倉の寺院について,次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。 |
1 | 覚園寺の前身は,二代執権北条義時が建立した大倉薬師堂である。鎌倉最大の茅葺きの薬師堂には足利尊氏が書いたと伝わる棟札が残されている。 |
2 | 円覚寺の寺名の由来は,起工の際,地中から「円覚経」をおさめた石櫃が掘り出されたことによる。その山門の「円覚興聖禅寺」の額は,花園天皇の勅筆である。 |
3 | 九品寺(材木座)の山門と本堂に掲げられた「内裏山」「九品寺」の額の字は新田義貞の筆跡を写したもので,当初の額は,本堂に保存されている。 |
4 | 光明寺は朝廷との関係が深く,山門の「天照山」の扁額は後花園天皇の直筆と伝えられ,後土御門天皇からは関東総本山の称号を受け勅願寺に定められ,「十夜法要」も勅許され た。 |
円覚寺の山門の扁額は、伏見上皇の勅筆と伝えられています。 |
(45) | 海蔵寺について,次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。 |
1 | 総門近くに鎌倉十井の一つ「甘露ノ井」がある。 |
2 | 山号を扇谷山といい,1394 年(応永元)に創建されたと伝えられる。 |
3 | 本尊の薬師如来像は,坐像の胴体部分に,もう一つの薬師の顔を納めた啼薬師,児護薬 師と呼ばれる珍しい仏像である。 |
4 | 江戸時代建立の茅葺きの庫裡は,鎌倉の寺院を代表する庫裡建築である。 |
甘露ノ井があるのは浄智寺。海蔵寺にあるのは底脱ノ井。 |
寺院・神社について関連あることがらの組み合わせとして誤っているものを1〜4から選びなさい。 |
(46) | 鎌倉にある地蔵と所蔵する寺院 |
1 出世子育地蔵尊−等覚寺 2 矢拾地蔵−浄光明寺 3 身代わり地蔵−来迎寺(材木座) 4 子育経読地蔵大菩薩−宝戒寺 |
身代わり地蔵として知られているのは延命寺の裸地蔵でしょうか・・・。 杉本寺にも六地蔵と並んで身代地蔵が置かれています。 |
(47) | 神社とその祭神 |
1 甘縄神明神社−染谷時忠 2 白旗神社(西御門)−源頼朝 3 葛原岡神社−日野俊基 4 北野神社−菅原道真 |
甘縄神明神社の祭神は天照大神。染谷時忠は創建者。 |
寺院・神社について、次の説明文の[ ]に最も適当なものを1〜4から選びなさい。 |
明月院の歴史は,〔 (48) 〕で戦死した父の菩提を弔うため,山ノ内經俊が明月庵を創建したことにはじまる。〔 (49) 〕が最明寺を創建したが廃寺となり,その後,北条時宗 が〔 (50) 〕を開山として禅興寺を創建した。1380年(康暦 2・天授 6),鎌倉公方の足利氏満から禅興寺中興の命を受けて,〔 (51) 〕は,寺域を拡大,塔頭も増えて,のちには関東十刹の第一位となった。 |
(48) | |
1 平将門の乱 3 平治の乱 |
2 保元の乱 4 承久の乱 |
(49) | |
1 北条時政 3 北条泰時 |
2 北条義時 4 北条時頼 |
(50) | |
1 退耕行勇 3 無学祖元 |
2 蘭渓道隆 4 大休正念 |
(51) | |
1 上杉憲方 3 上杉憲実 |
2 上杉憲顕 4 上杉憲政 |
(48) 3 (49) 4 (50) 2 (51) 1 |
北条時頼廟 |
明月院やぐら |
鶴岡八幡宮の歴史は,〔 (52) 〕が〔 (53) 〕の戦勝を京都の〔 (54) 〕に祈願して叶えら れたことを感謝,1063 年(康平 6),源氏の守り神として,この神社の神霊を由比郷鶴岡 に勧請したことにはじまる。1180 年(治承 4),鎌倉入りした源頼朝が現在の地に遷座し て,鶴岡若宮と称した。1191 年(建久 2),本宮が創建され,現在のような上下両宮の姿 になった。現在の若宮は,江戸時代に徳川秀忠,本宮は〔 (55) 〕によって再建造営され たものである。 |
(52) | |
1 源頼信 3 源義家 |
2 源頼義 4 源頼光 |
(53) | |
1 平禅門の乱 3 前九年合戦 |
2 平忠常の乱 4 後三年合戦 |
(54) | |
1 石清水八幡宮 3 宇佐八幡宮 |
2 八坂神社 4 八雲神社 |
(55) | |
1 徳川家光 3 徳川吉宗 |
2 徳川綱吉 4 徳川家斉 |
(52) 2 (53) 3 (54) 1 (55) 4 |
鶴岡八幡宮 |
石清水八幡宮 |
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