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次の各問いについて、最も適当なものを1〜4から選びなさい。 |
源頼朝に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 伊豆で文覚上人と親しくなり、源氏の嫡流として平氏討伐に起つよう再三説得された。 |
イ | 石橋山の合戦で敗れ、山中に潜んでいたとき、平氏方の大庭景親に助けられた。 |
ウ | 千葉氏や三浦氏の援軍を得て、房総半島で勢力をたくわえ、鎌倉に根拠地を据えた。 |
エ | 父源義朝を供養するために勝長寿院を建立し、奈良から仏師運慶を招いて黄金の阿弥陀如来像を造らせ安置し、盛大な儀式を行った。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
石橋山の戦いで敗れたあと、源頼朝を救ったのは梶原景時。 勝長寿院の黄金の阿弥陀仏は成朝の作。 北条政子は、源実朝追福のため、運慶に五大尊像を造立させています。 |
北条貞時に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 北条貞時は、北条義時が建立した大倉薬師堂を寺に改め、覚園寺を建立した。 |
イ | 北条貞時は成人後、幕府の実権を掌握していた内管領平頼綱(禅門)と子の飯沼資宗を討伐した。 |
ウ | 北条貞時は永仁の徳政令によって、窮乏化する御家人の救済を図るが、貸し渋りを引き起こし借り入れが困難になって、救済は失敗する。 |
エ | 北条貞時が執権のとき、北条実時は貴重な文献を集め、金沢文庫を創設した。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
覚園寺の建立は1296年(永仁4年)、平禅門の乱は1293年(永仁元年)、永仁の徳政令は1297年(永仁5年)の出来事で、いずれも執権は北条貞時。 元寇以降、困窮する御家人のために金銭関係の訴訟をとりあげないなどの永仁の徳政令が出されますが、かえって金融の道が閉ざされてしまいました。 北条実時が金沢文庫を創設したのは、1275年(建治元年)頃とされ、その時の執権は北条時宗。 |
鎌倉幕府の滅亡に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 幕府の末期は、内管領長崎円喜らが政治の実権を握っていた。 |
イ | 「太平記」によると、最後の執権の北条高時は、政治を忘れ遊興にふけっていたと伝えられている。 |
ウ | 龍神に祈って稲村ヶ崎を突破したと伝えられる、新田義貞の鎌倉攻めによって、鎌倉幕府は滅ぼされた。 |
エ | 東勝寺で、北条高時をはじめ、北条一族は自刃して果てた。その跡地には、「腹切りやぐら」がつくられた。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
北条高時は、1316年(正和5年)に執権の座に就きますが、内管領長崎円喜やその子高資らに実権が握られていました。 『太平記』などによると、高時は闘犬や田楽に興じていたのだといいます。 1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めによって鎌倉幕府は滅亡し、北条高時ら一族は、東勝寺で自刃。 「腹切りやぐら」は、東勝寺跡にあります。 |
鎌倉市東部を流れる滑川の一部を指す名称は、次のうちではいくつあるか。 |
柏尾川 夷堂川 胡桃川 炭売川 砂押川 閻魔川 神戸川 坐禅川 |
1 8つ 2 7つ 3 6つ 4 5つ |
滑川は、上流から胡桃川、滑川、坐禅川、夷堂川、炭売川、閻魔川と名を変えて由比ヶ浜に注いでいます。 柏尾川は、戸塚から大船を流れ、境川と合流する鎌倉で一番長い川。 砂押川は岩瀬を流れ、柏尾川に合流し、神戸川は腰越を流れています。 |
祇園山ハイキングコースで通過する地点は、次のうちではいくつあるか。 |
東勝寺跡 奥津城やぐら 永福寺跡 八雲神社 腹切りやぐら 葛原岡神社 |
1 5つ 2 4つ 3 3つ 4 2つ |
祇園山ハイキングコースは、東勝寺跡から大町の八雲神社までのコース。 腹切りやぐらや妙本寺が途中にあります。 奥津城やぐらと永福寺跡は天園ハイキングコースに、葛原岡神社は葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースにあります。 |
甘縄神明神社に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 奈良時代、豪族染屋時忠によって建立された、鎌倉最古の神社とされている。 |
イ | 源為義が甘縄神明神社に祈願して子宝(源義朝)を授かったことから、源氏との縁が深く、源頼朝が社殿を修復し、北条政子や源実朝も参詣した。 |
ウ | 参道の入口に碑が残り、この地に有力御家人の三浦一族代々の邸宅があったとされる。 |
エ | 付近には、ノーベル賞作家川端康成の住まいや鎌倉市川喜多映画記念館や鎌倉文学館などがある。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
甘縄神明神社に祈願したのは源頼義で、嫡男の源義家を授かったのだと伝えられています。 鎌倉幕府御家人の安達氏は、この辺りに屋敷を構えたといわれ、境内には北条時宗の産湯ノ井が残されています。 鎌倉市川喜多映画記念館は雪ノ下にあります。 |
壽福寺に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 鎌倉五山のうち第三位だが、創建は鎌倉五山の中では最も古い。 |
イ | 境内の敷地は、源頼朝の父源義朝の屋敷跡であったという。 |
ウ | 開山の栄西は、「喫茶養生記」を将軍の源実朝に献呈するなどして、喫茶の風習をわが国に広めた。 |
エ | 本堂裏手には、鎌倉で最初の仏足石がある。 |
オ | 裏山の墓地に、源実朝と北条政子の墓とされる五輪塔がある。 |
1 5つ 2 4つ 3 3つ 4 2つ |
鎌倉五山のうちで最も創建の古いのは浄妙寺(参考:第3回鎌倉検定1級)。 鎌倉で最初の仏足石があるのは安養院。 安養院には北条政子の宝篋印塔があります。 |
杉本寺に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 鎌倉最古の寺で、開山は行基と伝えられ、神功皇后が本堂を建立したのがはじまりといわれている。 |
イ | 本尊は十一面観音菩薩像で、寺の前を乗馬して通ると必ず落馬するというので、「下馬観音」と呼ばれ、建長寺の開山大覚禅師が祈願して、袈裟で観音を覆ったので、「覆面観音」とも呼ばれる。 |
ウ | 寺名の由来は、火災の時、本尊の観音像が自ら杉の木の根本に避難していたという伝説による。 |
エ | 裏山には杉本城があったとされ、朝比奈方面防備の拠点だったが、後醍醐天皇方の北畠顕家らに攻められて落城した。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
杉本寺を建立したのは、奈良の東大寺を建てた聖武天皇の妃・光明皇后。 |
次の寺社と通称の組み合わせで正しいものはいくつあるか。 |
ア | 明月院 ・・・「紫陽花寺」 |
イ | 明王院 ・・・「十王堂」 |
ウ | 東慶寺 ・・・「駆け込み寺、縁切り寺」 |
エ | 八雲神社(大町) ・・・「相馬天王」 |
オ | 本覚寺 ・・・「東身延」 |
カ | 大巧寺・・・ 「おんめさま」 |
キ | 常栄寺 ・・・「ぼたもち寺」 |
ク | 補陀洛寺 ・・・「鎖大師」 |
ケ | 稱名寺 ・・・「今泉不動」 |
コ | 宝戒寺 ・・・「竹の寺」 |
1 10つ 2 8つ 3 6つ 4 4つ |
明王院は「五大堂」、八雲神社は「佐竹天王」、補陀洛寺は「竜巻寺」、宝戒寺は「萩の寺」。 「十王堂」は円覚寺塔頭桂昌庵、「相馬天王」は八坂大神、「鎖大師」は青蓮寺。 |
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