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安養院の観音堂背後には、北条政子のものと伝わるの宝篋印塔(供養塔)が建てられている。 政子は、晩年を勝長寿院奥に屋敷を建てて過ごし、1225年(嘉禄元年)7月11日に亡くなった。 『吾妻鏡』によれば、勝長寿院で荼毘に付されたという。 法名は「安養院殿」。 政子の宝篋印塔の横には、鎌倉最古の石塔といわれる良弁尊観の宝篋印塔がある。 |
塔には「二位政子御法号安養院殿如実妙観大禅定尼嘉禄元年七月十三日」と刻まれている。 政子は、1218年(建保6年)に上洛し、京に滞在中の4月14日には従三位に叙せられ、鎌倉に戻った後の10月13日には従二位に叙せられた。 『吾妻鏡』には、1225年(嘉禄元年)7月11日に亡くなり、翌日、勝長寿院で火葬されたことが記録されている。 |
北条政子の死 北条政子の前に現れた伊賀の方の怨霊 |
北条政子像 (安養院) |
北条政子像 (安養院) |
伊豆の国市の願成就院の地蔵菩薩像は、政子の七回忌に三代執権北条泰時が奉納したのだと伝えられている。 政子が自分の姿に似せて造らせた仏像であるとも・・・。 |
壽福寺は、源義朝の旧跡に北条政子が創建したといわれる寺。 開山は、我が国臨済宗の開祖で『喫茶養生記』で知られる栄西。 鎌倉五山の第三位。 |
安養院は、北条政子が源頼朝の菩提を弔うために創建したという長楽寺を前身としている。 千手観音像は、坂東観音巡礼、鎌倉観音巡礼の第三番。 |
鎌倉市大町3−1−22 0467(22)0806 鎌倉駅東口より徒歩12分 |
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