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中尊寺の金色堂は、中尊寺に現存する唯一の創建時の遺構で、棟木の銘から、藤原清衡が1124年(天治元年)に創建したものと考えられている(国宝)。 堂内には、中央壇・右壇・左壇の須弥壇が置かれ、それぞれに阿弥陀三尊像・地蔵菩薩立像(六地蔵)・二天像(持国天、増長天)が配されている(国宝)。 『吾妻鏡』は、金色堂は建物全てが金色で、堂内には三つの壇があって全て螺鈿で飾られ、阿弥陀三尊・二天・六地蔵は定朝の作だと伝えている。 また、須弥壇内には、藤原清衡(中央壇)、基衡(右壇)、秀衡(左壇)のミイラ化した遺体が納められ、右壇には泰衡の首級も納められている。 国宝に指定されている仏像は計31躯。 右壇の増長天像は失われ、右壇の阿弥陀如来像は金色堂本来の像でなく、後世他所から移されたものだという。 |
平安時代、浄土信仰の広まりで阿弥陀堂の建立が盛んに行われた。 中尊寺の金色堂も阿弥陀堂。 貴族階級が競うように阿弥陀堂を建立した中で、藤原道長の法成寺は最大規模だったといわれる。 |
藤原道長の出家と最期 |
藤原頼通が建てた平等院の鳳凰堂は、法成寺の阿弥陀堂を参考に建立された。 『吾妻鏡』によると、奥州藤原氏三代当主の藤原秀衡が建てた無量光院は平等院を模していたという。 |
1689年(元禄2年)5月13日、奥州平泉を訪れた松尾芭蕉は、まず、源義経の衣川館があった丘に上り、「夏草や兵どもが夢の跡」と詠み、その後、中尊寺の金色堂に訪れ、「五月雨の降り残してや光堂」と詠んだ。 |
『吾妻鏡』が伝える中尊寺 『吾妻鏡』が伝える毛越寺 |
2019年(平成31年)4月に平泉町から鎌倉市に寄贈された中尊寺ハス。 中尊寺ハスは、金色堂の開棺調査で源頼朝に滅ぼされた藤原泰衡の首桶から見つかった古代のハスの実が発芽したもの。 頼朝が中尊寺・毛越寺・無量光院を模して建てたと伝えられる永福寺の跡に置かれている。 |
中尊寺は奥州藤原氏の栄華を伝える寺院。 2011年(平成23年)、「平泉〜仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群〜」として世界文化遺産に登録されている。 |
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202 JR平泉駅から徒歩25分程度 |
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