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次の各問いについて、最も適当なものを1~4から選びなさい。 ~正しいものは「いくつあるか」?~ |
(8) | 次の墓・供養塔のうち,「宝篋印塔」はいくつあるか。 |
源頼朝の墓(西御門) 北条政子供養塔(安養院境内) 忍性墓(極楽寺奥の院) 大江広元の墓(明王院裏山) 日野俊基の墓(葛原岡神社境内) 伝上杉憲方墓(極楽寺坂) 泣塔(洲崎古戦場碑付近) |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
源頼朝墓は層塔、忍性墓は五輪塔、明王院裏山の大江広元墓は層塔、伝上杉憲方墓も層塔。 |
源頼朝墓 北条政子供養塔 忍性墓 大江広元墓 日野俊基墓 伝上杉憲方墓 泣塔 |
(9) | 次のうち,鎌倉市の天然記念物はいくつあるか。 |
ツバキ(覚園寺の「太郎庵」) キンモクセイ(圓應寺) オウバイ(瑞泉寺) ビャクシン(浄智寺) カイドウ(光則寺) サザンカ(安國論寺) イチョウ(荏柄天神社) オオムラサキ(安養院) |
1 8つ 2 7つ 3 6つ 4 5つ |
天然記念物となっているのは覚園寺の太郎庵、瑞泉寺のオウバイ、浄智寺のビャクシン、光則寺のカイドウ、安國論寺のサザンカ、荏柄天神社のイチョウ。 |
瑞泉寺の黄梅 浄智寺のビャクシン 光則寺のカイドウ 安國論寺のサザンカ 荏柄天神社の大銀杏 |
(10) | 次の鎌倉の仏像とその作者と伝えられる人物の組み合わせのうち,正しいものはいくつあ るか。 |
補陀洛寺の薬師如来像 …空海 来迎寺(西御門)の地蔵菩薩像 …宅間浄宏 宝戒寺の本尊子育経読地蔵大菩薩 …三条法印憲円 光触寺の木造聖観音菩薩立像 …成朝 玉泉寺の本尊胎内不動明王 …願行上人 東光寺の不動明王立像 …智証 |
1 5つ 2 4つ 3 3つ 4 2つ |
補陀洛寺の薬師如来は行基、光触寺の木造聖観音菩薩立像は定朝。 |
(11) | 鎌倉十井に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 鉄ノ井は,小町通り北の端,鶴岡八幡宮に通じる道の角にある。井戸を掘ったとき,鉄でできた観音像の頭が出てきたことから鉄ノ井とよばれるようになった。 |
イ | 扇ノ井は,浄光明寺前の道の奥にあり,今でも清水が湧き出ている。「扇ガ谷」という 地名はこの井戸に由来するという説もある。 |
ウ | 甘露ノ井は,浄智寺の総門横の小さな石橋の脇にある。この井戸の水は蜜のように甘く, 不老不死の効能があるといわれていた。 |
エ | 銚子ノ井は,明月院境内にあり,現在も使用できる。その名の由来は,井戸の形がお酒 を注ぐ銚子に似ていることにある。 |
オ | 棟立ノ井は,覚園寺の薬師堂の背後の山際にあり,弘法大師がこの地に滞在したときに井戸を掘り,ここから閼伽水(仏に奉納する水)を汲んだという言い伝えがある。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
浄光明寺の奥にあるのは泉ノ井。 銚子ノ井は名越にあります。明月院にあるのは瓶ノ井。 |
(12) | 鎌倉と詩人・小説家・評論家に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 坂ノ下で療養生活をしていた詩人日夏耿之介は,1916年(大正 5),長谷の旅館「対僊閣」で萩原朔太郎と出会い,二人は意気投合し,頻繁に行き来したという。 |
イ | 鎌倉駅前にかつてあった旅館「平野屋」に逗留していた芥川龍之介は,岡本一平・かの子夫妻と出会う。かの子は,このとき会った芥川を主人公に,小説『鶴は病みき』を書い た。 |
ウ | 光則寺のカイドウを仰ぎ見ながら,小林秀雄は中原中也と語り合い和解した頃の事情を, 『中原中也の思ひ出』で回顧している。 |
エ | 鎌倉に住み,雑誌『文學界』を創刊した星野天知のもとを訪れた島崎藤村は,その時の事情を『桜の実の熟する時』に,また,その後の円覚寺参禅の様子を『春』に記した。 |
オ | 作家葛西善蔵は創作に専念するため妻子と離れ,建長寺の宝珠院に住んでいたとき,半僧坊権現下の茶店「招寿軒」の娘ハナの献身的世話を受けていた。後に,その日々を短編 『暗い部屋にて』や『おせい』に綴った。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
日夏耿之介は長谷の海月楼で療養生活を送っていました。小林秀雄と中原中也が語り合ったのは妙本寺のカイドウの下。 |
(13) | 鎌倉の景観重要建築物等に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 鎌倉文学館の建物は1936年(昭和 11),旧加賀藩前田家 16代当主前田利為が創建し,元首相吉田茂が一時別荘として利用し,三島由紀夫の小説『春の雪』の一舞台ともなった。 |
イ | 旧華頂宮邸は,1929年(昭和4)に華頂博信侯爵邸として建てられた,鎌倉に残る戦前の洋風住宅建築物としては,鎌倉文学館に次ぐ規模である。外観は,洋風民家に設けられるハーフティンバースタイルで,洋風の門,敷地内の樹木,広々としたイギリス式庭園と一 体となり,往時の華やかな暮らしを彷彿とさせる。 |
ウ | 日本基督教団鎌倉教会会堂は,戦前のプロテスタント教会会堂の代表的な建物で,尖塔形のアーチ窓を持つ鐘塔など華麗なルネッサンス的スタイルを感じさせる。 |
エ | 寸松堂は1936 年(昭和 11)に建てられた,鎌倉彫の彫師・後藤俊太郎の店舗併用住宅で,その外観は寺院建築と城郭建築が合体したような建築様式で,一階の店舗部分のガラス戸やショーウィンドーに近代洋風建築の技術が生かされている。 |
オ | レストラン去耒庵は数寄屋風の門など昭和初期の伝統的な意匠をもつ和風建築で,手入れの行き届いた敷地内の樹木と,その中に建つオーソドックスな和風の建物が一体となって創り出す景観は,鎌倉らしさを感じさせる。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
鎌倉文学館は前田家の別邸として建てられ、16代利為が改築。 旧華頂宮邸の庭園はフランス式。 日本基督教団鎌倉教会会堂はゴシック的スタイル。 寸松堂は佐藤宗岳の店舗併用住宅として建てられました。 |
鎌倉文学館 旧華頂宮邸 日本基督教団鎌倉教会会堂 寸松堂 |
(14) | 鎌倉十橋に関する記述で正しいものはいくつあるか。 |
ア | 夷堂橋は,本覚寺門前を流れる滑川に架かる橋で,その名は本覚寺の鎮守社の夷堂が近くにあったことによる。 |
イ | 乱橋は,滑川に架かる橋で,下馬四ツ角の南側にある。新田義貞が鎌倉に攻め入った時, 幕府軍の防衛線がくずれはじめたのがこの橋辺りだったことがその名の由来である。 |
ウ | 逆川は名越から流れる川筋が屈曲して北上し,川の流れが逆行しているように見える。 そのちょうど逆行する辺りに逆川橋は架かるので,こうよばれるようになった。 |
エ | 英勝寺ゆかりのお勝の局が架けたので,勝ノ橋とよばれていた。壽福寺の門前にあり, 明治の末ごろまでは立派な橋が架かっていたという。 |
オ | 十王堂橋は,北鎌倉駅前から鎌倉街道を大船方面に 150 mほど行ったところに架かる。 昔,この橋のそばに閻魔など十王を祀ったお堂があったため,このように呼ばれている。 |
1 4つ 2 3つ 3 2つ 4 1つ |
乱橋は滑川に架けられた橋ではありません。下馬四ツ角の南にあるのは琵琶橋。 |
(15) | 次の境内図のうち,龍寶寺のものはどれか。 |
1 | 2 |
3 | 4 |
1は安國論寺、3は浄光明寺、4は海蔵寺の境内。 龍寶寺は、玉縄北条氏の菩提寺です。 |
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