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伝大江広元墓

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大江広元の墓


 明王院裏山(胡桃山)には、大江広元の墓と伝わる五層塔がある(石造層塔で鎌倉期のものと考えられている。)。

 江戸時代、毛利家の家老が墓を探しにきたが、威張り散らす役人に腹を立てた村人は、墓のありかを教えなかったという話が残されているらしい。

 大江広元邸は、胡桃山を下った所にあったので、この場所に墓があるとしても不思議ではない。

 西御門にも大江広元の墓と伝わる供養塔があるが、こちらは江戸時代に長州藩によって建てられたものと考えられている。

 大江広元墓は、明王院から天園ハイキングコースへと通ずる古道にある。





大江広元邸跡碑
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 大江広元は、1184年(元暦元年)、源頼朝に招かれて鎌倉に下向し、開設された公文所の別当となった(公文所は、1191年(建久2年)、政所に改められる。)。

 1185年(文治元年)、源頼朝による守護・地頭の設置は広元の献策によるものとされている(文治の勅許)。

 1225年(嘉禄元年)6月10日没。

 近くには広元を祀る大江稲荷がある。


大江稲荷
リンクボタン大江稲荷









〜赤染衛門の子孫〜

 赤染衛門は平安中期の女流歌人。

 大江匡衡と結婚し中宮・藤原彰子に仕えた。

 匡衡との間に生まれた子は挙周。

 挙周の六代孫が広元。





大江広元の墓
リンクボタン大江広元の墓
(法華堂跡)

 大江広元の墓は法華堂跡にもある。

 この墓は1823年(文政6年)に建てられたもの。

 毛利季光、源頼朝の子ともいわれる島津忠久の並んで建てられている。





毛利氏発祥の地碑
リンクボタン毛利氏発祥の地碑
(三島神社:厚木市)

 大江広元の四男季光は、愛甲郡毛利庄を相続しして「毛利氏」を名乗った。

 1247年(宝治元年)の宝治合戦で毛利氏はほとんど滅んでしまうが、季光の四男経光の家系が後世にのこり、戦国時代に中国地方を統一した毛利元就の祖となった。





葵祭
リンクボタン葵祭

 1191年(建久2年)、後白河法皇法住寺殿を修繕するため在京していた広元は、検非違使の職務として賀茂祭(葵祭)に供奉している。

 賀茂祭(葵祭)は、下鴨神社上賀茂神社の祭礼。



賀茂祭に供奉した大江広元





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天園ハイキングコース
リンクボタン天園ハイキングコース
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 明王院の脇の小径は、天園ハイキングコースに通じている。
 大江広元墓は、その途中の山頂に建てられている。



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大江広元墓
伝大江広元墓

明王院から天園ハイキングコースに通じる古道にある。



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