|
鎌倉幕府で政所別当を務めた大江広元を祀る社。 朝廷に仕える貴族だった広元は、1184年(元暦元年)、源頼朝に招かれて鎌倉に下向。 頼朝亡き後も幕府内の中心的な役割を担い、鎌倉幕府の基礎を築き上げた。 1225年(嘉禄元年)6月10日没(法名覚阿・78歳)。 初午祭では大江広元木像を祀り、明王院の住職によって読経供養が行われるのだという。 |
伝大江広元墓 (明王院裏山) |
大江広元の墓 (法華堂跡) |
明王院の裏山にある層塔は大江広元の墓と伝えられる。 法華堂跡のやぐらにも五輪塔が置かれているが、江戸時代に長州藩によって建てられたものだという。 広元の四男季光は毛利氏の祖。 |
赤染衛門は平安中期の女流歌人。 大江匡衡と結婚し中宮・藤原彰子に仕えた。 匡衡との間に生まれた子は挙周。 挙周の六代孫が広元。 |
1191年(建久2年)、後白河法皇の法住寺殿を修繕するため在京していた広元は、検非違使の職務として賀茂祭(葵祭)に供奉している。 賀茂祭(葵祭)は、下鴨神社・上賀茂神社の祭礼。 |
鎌倉市十二所114付近 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|