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毎年5月5日に行われる鎌倉宮の「草鹿」(くさじし)の起源は、1193年(建久4年)に源頼朝が催した大規模な軍事訓練である富士裾野の巻狩りといわれています。 草を束ねて鹿の形にして、それを射る訓練をさせたことが、いまでも「草鹿神事」として残っているようです。 5人ずつ2組に分かれ、古式にのっとって鹿の形を射て、その点数を競い合います。 勝ち組の大将には、「菖蒲」が授与されます。 弓馬術礼法小笠原流の皆さんによる奉納です。 |
まずは、各組4人が点数を競い合い、最後に各組の大将が登場してきます。 |
富士裾野の巻狩りで度々鹿を射損じる家人。 そこで頼朝は、草を鹿の形に束ねさせ、それを射る稽古をさせたのだとか・・・。 |
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で稽古シーンに使われた的。 伊豆の国大河ドラマ館のパネルより。 |
平安時代の宮中では、端午の節会に打毬が行われていたのだという。 打毬は、競馬や騎射の後に行われていた競技。 |
打毬〜端午の節会の宮中行事と源氏物語〜 |
端午節会(端午の節句)は、平安時代の宮中で盛んに催され、清少納言は『枕草子』に「節供は5月に及ぶものはない」と記し、紫式部は『源氏物語』に描いている。 |
富士裾野の巻狩りでは、有名な「曾我兄弟の仇討ち」が起こっています。 曾我兄弟によって工藤祐経が殺害された事件です。 しかし、それだけで、この事件は終わっていません。 この事件に絡んで源頼朝の弟範頼が伊豆修禅寺に流され、のちに梶原景時に攻められ自害しています。 仇討ちの真の目的が頼朝暗殺にあったとも考えられる事件だったようです。 |
弓馬術礼法小笠原流は、源頼朝の弓馬師範だったという小笠原長清を祖とする小笠原家に伝えられた弓馬術。 9月の鶴岡八幡宮例大祭では流鏑馬が奉仕されます。 |
三々九手挟式(さんざんくたばさみしき)は、古来、正月4日の「弓始め」のときに行われていた儀式。 毎年4月15日、源頼朝と北条政子が崇敬した伊豆山神社の例大祭で奉納されている。 |
鶴岡八幡宮の除魔神事は、源頼朝が幕府において「御的始」・「御弓始」と称して行った武家の事始めが起源。 毎年1月5日に行われる。 |
鎌倉宮は、護良親王を祀るため明治天皇が創建した。 長い歴史において、「天皇自らが創建」した神社は鎌倉宮のみ。 |
鎌倉市二階堂154 鎌倉駅から大塔宮行バス終点下車 |