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寝殿の上(しんでんのうえ)と藤原儼子(ふじわらのたけこ)は、藤原為光の娘。 寝殿の上は、三女で三の君とも呼ばれる。 源雅信の妻だったが、雅信の死後は藤原伊周の妾となっていたらしい。 儼子は、四女で四の君とも呼ばれた花山法皇の愛人。 参考までに・・・ 為光の長女は、花山天皇のもとで権勢を奮った藤原義懐の正室。 次女は花山天皇に入内した藤原忯子。 |
※ | 大河ドラマ「光る君へ」で寝殿の上は光子という名で登場。 |
996年(長徳2年)1月16日の長徳の変は、寝殿の上と儼子をめぐって起こった政変。 この頃、藤原伊周と花山法皇は、それぞれ寝殿の上と儼子のもとへ通っていたらしい。 しかし、伊周は花山法皇が寝殿の上のところに通っていると勘違い。 弟の隆家に相談して、花山法皇を待ち伏せして襲撃。 その後、伊周と隆家は左遷されている。 |
986年(寛和2年)、花山天皇は元慶寺で出家(寛和の変)。 藤原伊周は、花山天皇を出家させた藤原兼家の孫(道隆の子)。 寛和の変では、花山天皇に信頼されていた為光の婿・藤原義懐も出家している。 陰陽師の安倍晴明は、天変により花山天皇が退位することを知っていたのだとか・・・ |
花山天皇の退位を知っていた安倍晴明~寛和の変~ |
藤原為光の邸宅だった一条院は、為光の死後、佐伯公行が寝殿の上から買い上げ、藤原兼家の娘・詮子に献上された。 内裏焼失後、詮子は御所として修造し、一条天皇の里内裏として使用されている。 |
儼子は、花山法皇の崩御後、藤原妍子の女官となり、その後、藤原道長の妾となっている。 1016年(長和5年)1月21日、道長の子を産むが、死産で母子ともに死去。 |
寝殿の上から一条院を購入した佐伯公行(さえきのきんゆき)は、東山の清閑寺を再興した貴族。 藤原定子の子敦康親王の乳母で、藤原道長と中宮彰子を呪詛した高階光子の夫。 |
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