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四代将軍九条頼経 賀茂祭を見物する!
〜京都:葵祭〜

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 1238年(嘉禎4年)正月28日、四代将軍九条頼経は上洛のため鎌倉を出発。

 2月17日に入洛し、六波羅御所に入りました。

 それから10月13日まで京都に滞在しています。





 4月16日、頼経は賀茂祭を見物しています。

 全ての飾りなどの美しさは例年を越えていたそうです。



葵祭


葵祭


葵祭


葵祭


葵祭


 そして御家人で検非違使の大江能行・中条家平・後藤基政・宇都宮頼業らが一条大路を練り歩いて行ったのだとか・・・





葵祭
検非違使尉

 検非違使尉は行列警備の最高責任者。

 参考までに・・・

 1184年(寿永3年)、源義経後白河法皇から任じられたのが検非違使左衛門尉。

 リンクボタン義経の無断任官










〜賀茂神社の祭礼〜

葵祭
リンクボタン葵祭

 賀茂祭(葵祭)は、賀茂神社の祭礼。

 葵祭の行列は「路頭の儀」と呼ばれています。

 京都御所から王朝絵巻さながらの行列が下鴨神社上賀茂神社へと向かいます。



上賀茂神社
リンクボタン賀茂別雷神社
(上賀茂神社)
下鴨神社
リンクボタン賀茂御祖神社
(下鴨神社)


 賀茂神社は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の総称。

 古くより朝廷から崇敬され、794年(延暦13年)の平安遷都後は山城国の一之宮となり、王城鎮護の神として一層崇敬され、802年(大同2年)には正一位の神階を受け、賀茂祭(葵祭)は勅祭とされました。

 石清水八幡宮の例祭(石清水祭)・春日大社の例祭(春日祭)と賀茂祭(葵祭)は三大勅祭です。



玉依媛命と賀茂別雷大神〜賀茂神社由来物語と葵祭〜


埒が明く・・・埒が明かない・・・


賀茂祭に供奉した大江広元



堅田供御人鮒奉献奉告祭


 葵祭前日(5月14日)、琵琶湖西岸・堅田から下鴨神社へ鮒が献上される。





下鴨神社の申餅
リンクボタン申餅
みたらし団子
リンクボタンみたらし団子


 かつての葵祭では、申の日に申餅を供え、無病息災を祈願したのだといいます。

 「みたらし団子」は、下鴨神社御手洗池の底から湧き出る水泡をかたどったのだといわれています。




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『源氏物語』葵の巻〜葵の上と六条御息所の車争い〜





〜賀茂祭の還さ、いとをかし〜

賀茂祭の還御の行列「いとをかし」


 清少納言は『枕草子』に、斎王が上賀茂神社から紫野の斎院に帰る行列は、本当に素晴らしいと記しています。





〜落馬した清少納言の父〜

賀茂祭で落馬した清少納言の父清原元輔


 清少納言の父清原元輔は、奉幣使として加わった賀茂祭で落馬。

 冠が滑り落ちて禿げ頭を晒してしまったのだとか。





〜賀茂祭の連歌対決〜

賀茂祭の連歌対決


 藤原道綱母は、賀茂祭見物の際、藤原時姫に連歌対決を挑んだ・・・









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