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北条貞顕は、北条顕時の子。 六波羅探題を務めたのち、第十五代執権を務めている(参考:嘉暦の騒動)。 北条実時が創設した「金沢文庫」を国内屈指の武家の文庫に創りあげるとともに、称名寺の伽藍や浄土式庭園の整備を行い、称名寺の最盛期を築きあげた。 1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めによって、北条高時らとともに東勝寺で最期を遂げている(参考:鎌倉幕府の滅亡)。 |
貞顕は、京都に常在光院を築き、優美な庭園を造営したのだという。 その場所は定かではないが、浄土宗の総本山知恩院の方丈辺りではないかという説がある。 |
称名寺は、金沢北条氏の祖北条実時が建てた持仏堂がはじまりとされ学問所として栄えた。 塔頭光明院の「大威徳明王像」は運慶の真作。 |
横浜市金沢区金沢町212−1 京浜急行金沢文庫駅下車徒歩15分。 |
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