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鎌倉の伝説に関する記述について,最も適当なものを 1 ~ 4 から選びなさい。 |
(96) | 朝夷奈切通を一夜にして切り開いたという伝承が残る朝比奈三郎義秀の父である有力御家人はだれか。 |
1 和田義盛 2 畠山重忠 3 梶原景時 4 三浦義澄 |
朝比奈義秀は、和田義盛の三男。 母は木曽義仲に仕えた女武者巴御前とも。 大力武勇の猛者で和田合戦でも多くの伝説を残しました。 |
朝夷奈切通 |
朝比奈の滝 |
鎌倉七口の一つ朝夷奈切通は三代執権北条泰時が開いた道ですが、朝比奈義秀が一夜にして開いたとの伝承があることから朝比奈峠とも呼ばれています。 朝比奈の滝は、義秀に因んで付けられた名。 |
(97) | 光触寺の本堂前にある地蔵がなめたという言い伝えがあるものは何か。 |
1 味噌 2 油 3 塩 4 酒 |
光触寺の先には鎌倉と六浦を結ぶ朝夷奈切通があります。 朝夷奈切通は鎌倉に貴重な塩を運び入れる道でもあったので「塩の道」と呼ばれていました。 |
光触寺 |
塩嘗地蔵 |
光触寺の本堂前の地蔵尊には、朝夷奈切通を越えてやってきた行商人が供えた塩を嘗めてしまったという伝説が残されています。 そのため塩嘗地蔵と呼ばれています。 |
(98) | 多くの廻国伝説があり,その際の逸話の1つが謡曲「鉢の木」として残る人物はだれか。 |
1 北条義時 2 北条泰時 3 北条時頼 4 北条時宗 |
五代執権北条時頼には、出家後に諸国を廻ったという伝説が残されています。 |
北条時頼は、1256年(康元元年)に最明寺で出家して最明寺入道と呼ばれました。 最明寺は時頼の死後廃絶してしまいますが、子の北条時宗が最明寺を前身とする禅興寺を創建し、室町時代には支院の明月院が建立されました。 |
北条時頼廻国伝説(謡曲「鉢の木」) 母松下禅尼の教え「質素倹約」・・・北条時頼 |
(99) | 地蔵堂の堂守が貧しい生活から逃げ出そうとしたとき,夢枕に地蔵菩薩があらわれて「どこも,どこも」と告げたので,堂守は「苦しいのはどこも同じ」と悟ったという「どこも苦地蔵」の伝説が残る寺院はどこか。 |
1 覚園寺 2 瑞泉寺 3 杉本寺 4 光明寺 |
「どこも苦地蔵」は、智岸寺の地蔵堂に安置されていた地蔵尊。 鶴岡八幡宮の正覚院へ移された後、瑞泉寺へ移されたのだといいます。 |
瑞泉寺 |
地蔵堂 |
「どこも苦地蔵」は瑞泉寺の地蔵堂に安置されています。 残されている伝説は智岸寺の地蔵堂に置かれていた頃のもの。 智岸寺は扇ヶ谷にあった尼寺で、英勝寺はその跡地に建てられています。 |
(100) | ある夜,滑川に十文を落としたとき,家臣に五十文の松明を買わせて捜索させたのは損だといぶかる同僚に,「十文を川で落として失うのは損失だが,松明に使った五十文は商いで利益を生む」と説いた人物はだれか。 |
1 宿谷光則 2 青砥藤綱 3 江間光時 4 比企三郎高家 |
東勝寺橋 |
青砥藤綱邸跡 |
青砥藤綱は北条時頼・北条時宗に仕えた武将。 10文落して50文の松明を買わせた藤綱の伝説は東勝寺橋でのもの。 金沢街道の青砥橋のたもとには青砥藤綱邸跡の碑が建てられています。 |
祭り・行事の問題 |
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