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吉田兼好の『徒然草』には、北条時頼と大仏宣時が味噌を肴に酒を飲んだことが書かれている。 |
※ | 大仏宣時は北条貞時の時代に連署を務めた人物。 |
ある宵、宣時のもとに時頼からの使者が来て、 「すぐ来るように」 とのことでした。 宣時は、直垂の準備がなく、ぐずぐずしていると、再び使者が来て、 「夜なのだからどんな服装でもよいから早く来い」 とのこと。 宣時がかけつけると、時頼は銚子と土器を持って出てきました。 そして、 「ひとりで酒を飲むのがさびしいので来てもらったが、これといった肴もない。 何か台所から探してきてくれないか」 と頼まれました。 宣時は、土器の中に味噌が残っているのを見つけると、時頼は、 「これでいい」 といって二人で酒を飲んだのだといいます。 |
宝戒寺は、北条執権館跡に建てられた寺。 |
吉田兼好の『徒然草』には、北条時頼の母松下禅尼が質素倹約の心を教えたことも記されている。 |
ある日、時頼は母に招かれ母の家を訪れます。 すると、母は障子の切り張りをしていました。 松下禅尼の兄安達義景が、 「そのようなことは誰かにやらせます」 というと、 「私より上手に貼れる者はいないでしょう」 といって、障子の破れたところのみを丁寧に張っていたそうです。 それを見た義景は、 「全部張り替えた方が簡単ですし、見栄えも良いでしょう」 というと、 「今日はわざとこうしておくのです。 物は修理して使うものだということを時頼に教えるためです」 と答えたのだといいます。 |
安達氏館は、甘縄神明神社付近にあったのだと伝えられている。 ただ、近年の研究では無量寺ヶ谷(現在の扇ガ谷)にあったのだといわれている。 |
北条時頼は、1253年(建長5年)、日本初の禅専門道場「建長寺」を創建した。 |
北条時頼の墓は、「アジサイ」で知られる明月院にある。 時頼は、1263年(弘長3年)11月22日、最明寺で亡くなった。 |
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