|
朝夷奈切通の入口にある「朝比奈の滝」。 「三郎の滝」とも呼ばれている。 朝夷奈切通を一夜にして切り開いたという伝承が残る大力武勇の猛者「朝比奈三郎義秀」に因んで名付けられた名。 |
朝比奈義秀は、源頼朝の下で侍所別当を務めた和田義盛の三男。 生母は木曽義仲の妾だった巴御前とも伝えられているが、詳しいことは不明。 二代将軍源頼家の小坪遊覧では、頼家に「泳いでみよ」と命じられ、断るわけにもいかず海に入り鮫を3匹捕まえてきたのだとか。 父の和田義盛が起こした和田合戦においては、幾人かの敵をたおし微傷すら負わなかったというが、和田義盛が敗れるとどこかに姿を隠したのだという。 所領のあった安房国に渡ったとか、朝鮮に逃れたという説もある。 |
巴と義仲の五輪塔 (小田原:善栄寺) |
巴塚 (滋賀:義仲寺) |
小田原の善栄寺は、巴御前が木曽義仲と和田義盛の菩提を弔うために創建したと伝えられる。 滋賀県大津市の義仲寺は、巴御前が木曽義仲の墓所の近くに草庵を結んで供養したことにはじまると伝えられる。 |
「瑜伽洞」(ゆがどう)は、和田合戦で敗れた朝比奈義秀が逃げ込んだ洞窟であるとも伝えられている。 |
鎌倉七口の一つ朝夷奈切通は、鎌倉と金沢(六浦)を結ぶ切通。 三代執権北条泰時によって開かれたこの道は「塩の道」と呼ばれた。 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|