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次の文の[ ① ]、[ ② ]に最も適当な語句を書きなさい。 ただし、[ ① ]、[ ② ]両方できて正解とする。 |
〔 ① 〕はひらがな,〔 ② 〕は漢字で書きなさい。 |
(61) | 病に特効のある神様は鎌倉の社寺にも数多く,例えば,光照寺(山ノ内)には,お年寄りや子どもの咳が止まるという御利益のある,咳の神様〔 ① 〕の石の祠があり,上行寺(大町)には「癌」に特効のある〔 ② 〕を祀る稲荷堂がある。 |
光照寺 |
上行寺 |
〔 ① 〕,〔 ② 〕ともに漢字で書きなさい。 |
(62) | 光則寺の開山は,日蓮の弟子〔 ① 〕で,裏山には〔 ① 〕が幽閉された土牢が残り,傍らには佐渡流罪前夜,日蓮が〔 ① 〕に送った手紙〔 ② 〕の石碑もある。 |
日蓮の龍ノ口法難では、弟子の日朗が宿谷光則邸(光則寺)の土牢に幽閉されました。 日蓮が日朗に送った『土牢御書』には、牢を出たら佐渡に遊びに来るように書かれていて、日朗は、日蓮の佐渡流罪中、8度にわたって佐渡を訪れたのだといいます。 |
〔 ① 〕は 7 字,〔 ② 〕は漢字で書きなさい。 |
(63) | 戦後まもなく新時代の教育を目指す自由大学〔 ① 〕が開校された光明寺の本堂左手の〔 ② 〕庭園は,二条城などの造園で知られる小堀遠州の流れをくむ庭園である。 |
鎌倉アカデミア |
記主庭園 |
〔 ① 〕,〔 ② 〕ともに漢字で書きなさい。 |
(64) | ともに国宝である建長寺と円覚寺の梵鐘は,銘文より,建長寺のものが〔 ① 〕, 円覚寺のものが〔 ② 〕が大壇那となってつくられたことがわかる。 |
建長寺の梵鐘は、1255年(建長7年)に物部重光が鋳造しました。 五代執権北条時頼が大旦那となり、開山の蘭渓道隆が銘文を撰しています。 円覚寺の梵鐘(洪鐘)は、1301年(正安3年)に物部国光が鋳造しました。 大旦那は九代執権北条貞時で、銘文は西澗子曇(せいかんすどん)が撰しています。 |
建長寺梵鐘 |
円覚寺梵鐘 |
〔 ① 〕,〔 ② 〕ともに漢字で書きなさい。 |
(65) | 鎌倉の絵画界が特色を帯びるのは,禅宗の移入など日宋交流が引き金となって宋元風の仏画や禅僧の肖像画である〔 ① 〕や水墨画などが当地に展開してからであり, 特に,〔 ① 〕では建長寺の開山であった,「〔 ② 〕像」(国宝)がその代表である。 |
〔 ① 〕,〔 ② 〕ともに漢字で書きなさい。 |
(66) | 高く結い上げた宝髻,複雑な衣文線,やや人間くさい面相などを特徴とする,鎌倉地方様式の仏像の代表作としては,圓應寺の〔 ① 〕坐像(国重文)や〔 ② 〕寺の阿弥陀三尊坐像(国重文)などがあげられる。 |
木造初江王坐像 (圓應寺) |
阿弥陀三尊坐像 (浄光明寺) |
〔 ① 〕は漢字で,〔 ② 〕は地名を書きなさい。 |
(67) | 哲学者〔 ① 〕は 1928 年(昭和 3)から没するまで稲村ガ崎に居住した。〔 ② 〕には,海の風景を詠った短歌が刻まれた記念碑が立つ。 |
〔 ① 〕,〔 ② 〕ともに漢字で書きなさい。 |
(68) | 鶴岡八幡宮の現在の若宮は 1624年(寛永元)に〔 ① 〕によって,本宮は 1828年(文政11)に〔 ② 〕によって再建造営されたものである。 |
上宮(本宮) |
若宮 |
〔 ① 〕,〔 ② 〕ともに漢字で書きなさい。 |
(69) | 江戸時代,鎌倉で獲れた初鰹は江戸で最も人気を集めており,〔 ① 〕の「目には青葉山ほとゝぎすはつ松魚」や〔 ② 〕の「鎌倉を生きて出でけむ初鰹」などの句でも知られている。 |
〔 ① 〕,〔 ② 〕ともに漢字で書きなさい。 |
(70) | 毎年 6 月上旬に鶴岡八幡宮で行われる蛍放生祭では,夕刻より〔 ① 〕で神事が行われ,蛍が神前に供えられる。その後,〔 ② 〕の畔で,宮司以下神職の手によって蛍が放たれ,境内に飛び立つ。 |
答 |
① 舞殿(下拝殿) ② 柳原神池 |
柳原神池 |
蛍まつり |
鶴岡八幡宮の蛍放生祭は、一般参拝者は観ることはできないようですが、蛍放生祭の翌日から1週間程度、蛍まつりが開催され、柳原神池に飛び交う蛍を観ることができます。 |
記述式その3 |
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