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甲斐武田氏の祖・武田信義が館を構えた場所。 武田氏の本拠は、信義の跡を継いだ信光の石和館に移り、戦国時代には、十八代信虎が石和館を甲府に移転(躑躅ヶ崎館)。 その後、十九代武田信玄の子勝頼が新府城を築いている。 |
山梨県韮崎市神山町武田556−2 韮崎駅前ロータリーから市民バス円野線で「武田」下車 徒歩約10分 |
武田氏の氏神 武田八幡宮 |
信義の菩提寺 願成寺 |
武田信義像 |
武田氏は、新羅三郎義光(源義光)を祖とする源氏。 武田信義は、甲斐源氏の祖・源清光の次男。 伊豆国で挙兵した頼朝に呼応して駿河国に侵攻し、富士川の戦いでは平家軍を敗走させた。 |
武田信光は、武田信義の五男。 武田流流鏑馬は、信光を祖とする安芸武田氏に伝えられた弓馬術。 信光の館があった笛吹市の石和八幡宮は、弓馬術の聖地として信仰された。 |
小笠原長清は、甲斐源氏・加賀美遠光の次男。 小笠原流流鏑馬は、長清からの受け継がれた伝統技術。 |
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