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「鎌倉まつり」に併せて、4月に開催される「義経まつり」。 壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした主人公であったにもかかわらず、兄源頼朝の怒りをかい、奥州平泉で不遇の死を遂げた源義経の偉業を偲ぶ祭。 1960年(昭和35年)から「義経まつり実行委員会」の主催で行われています。 源義経ゆかりの満福寺で「慰霊法要」が行われた後、仮装の武者行列(甲冑隊)、地元学生による鼓笛隊、ミス鎌倉などのパレードが龍口寺前から腰越天王屋敷(小動神社)まで進みます。 その後、満福寺境内ではパレードに参加した団体の紹介やイベントが行われるようです。 |
2024年の義経まつり 4月20日(土) |
1185年(元暦2年)、平宗盛を護送し、鎌倉に凱旋しようとした源義経でしたが、源頼朝は義経が鎌倉に入ることを許しませんでした。 腰越の満福寺での逗留を余儀なくされた義経が頼朝の許しを得るため、大江広元あてに書いた手紙が「腰越状」です。 満福寺本堂の欄間には、「腰越状」を書く弁慶と義経が彫刻され、本堂前には義経と弁慶の像が建てられています。 弁慶が書いたという腰越状の下書も残されています。 |
静の舞 |
衣川館 (高館義経堂) |
しかし、頼朝の許しは得ることはできず、再び平宗盛を護送し、京へ帰ることとなります。 その後、朝敵とされた義経は、吉野山で愛妾の静御前と別れ、奥州平泉へ逃亡して藤原秀衡に匿われていました。 しかし、秀衡の死後、頼朝の圧力に屈した泰衡(秀衡の子)に衣川館を攻められ、妻子とともに自害しました。 「鎌倉まつり」の初日(4月第2日曜日)、鶴岡八幡宮の舞殿では「静の舞」を観ることができます。 |
鎌倉市腰越2−4−8 0467(31)3612 江ノ電「腰越駅」より徒歩5分 |
「鎌倉まつり」は、鎌倉市観光協会の主催で行われている鎌倉を代表する観光行事。 「パレード」・「静の舞」・「流鏑馬」など。 |
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