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「湘南江の島春まつり」では・・・ 疾走する馬上から鏑矢を放ち3つの的を射る弓術・流鏑馬と、 源頼朝が江島神社で戦勝祈願をしたことにちなんだ武者行列が行われます。 |
2025年江の島流鏑馬 3月8日(土) 12:00〜14:45 場所:片瀬海岸東浜 |
12:00 | 出陣・行列開始 |
12:30 | 江島神社による神事 |
13:00 | 天長地久の式 |
13:30 | 騎射開始・式の的 競射・板的 (参考:武田流流鏑馬) |
14:15 | 凱陣の式 |
14:45 | 奉行挨拶・終了 |
「天長地久の式」は騎射に先立ち行われる儀式。 |
1182年(養和2年)、源頼朝は奥州平泉の藤原秀衡調伏のため、江の島に弁財天を勧請しています。 江島神社の奉安殿に置かれている重要文化財の八臂弁財天は、頼朝が勧請したものとも言われてきました。 奥津宮の石鳥居は頼朝の寄進と伝えられています。 流鏑馬に先立って、江の島弁財天仲見世通りでは、頼朝の江島神社での戦勝祈願を再現した武者行列が行われます。 |
江の島流鏑馬で奉仕されるのは武田流流鏑馬。 甲斐源氏の武田信光を祖とする安芸武田氏に伝えられ、その後、若狭武田氏、細川家、竹原家と継承されてきた弓馬礼法。 |
石和八幡宮は、武田信光が鶴岡八幡宮を勧請した神社。 源氏が重んじた射法相伝の儀式が行われ、弓馬術の聖地と呼ばれていた。 |
流鏑馬は、疾走する馬上から鏑矢を放ち的を射る弓術。 896年(寛平8年)、源能有によって弓馬の礼が制定され、その技術は、清和源氏の祖経基が伝承。 満仲→頼信→頼義→義家と相伝され、義家の弟義光から武田家・小笠原家に伝えられた。 |
城南宮は、流鏑馬発祥の地として知られる。 後鳥羽上皇は、城南流鏑馬のためと称して兵を集め、北条義時追討の院宣を発した(承久の乱)。 |
江の島は、砂が堆積して湘南海岸と島とが陸続きとなった陸繋島。 鎌倉時代には源頼朝が弁財天を勧請。 江戸時代には、大山・江の島の二所詣が流行し賑わった島。 |
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