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「土肥祭」は、JR湯河原駅周辺に館を構え、源頼朝の挙兵に尽力した土肥実平を偲ぶ祭。 |
「源頼朝旗挙げ武者行列」は、1180年(治承4年)に源頼朝が伊豆国で挙兵し、土肥郷に入って石橋山へと出陣する様子を再現したもの。 頼朝が戦勝祈願をしたと伝えられる五所神社から桜木公園までを武者姿などの土肥実平・源頼朝・北条時政・北条政子がパレードします。 石橋山の戦いに敗れた後、自分の館が焼かれるのを見た実平が舞ったといわれる「焼亡の舞」(じょうもうのまい)も数カ所で披露されます。 武者行列後は、実平の菩提所の城願寺で、実平と頼朝主従の法要が営まれます。 |
2025年は4月6日(日) |
このページの武者パレードの様子は、2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演した俳優の阿南健治さんが参加されたときのものです。 |
2025年の源頼朝役は湯河原出身の船越英一郎さん。 土肥実平役は河相我聞さん。 |
9:00 五所神社で神事 |
9:15 湯河原中学校吹奏楽部演奏 |
9:30 焼亡の舞 |
9:45 出陣の儀・武者名乗り 三献の儀・勝鬨 |
10:30 武者パレード (五所神社から桜木公園) |
11:15 焼亡の舞 (桜木公園) |
11:30 出陣の儀・武者の名乗り 三献の儀・閉場の儀・勝鬨 (桜木公園) |
12:20 湯河原ばやし「宮下保存会」演奏 湯河原中学校吹奏楽部演奏 (桜木公園) |
13:40 土肥祭 (城願寺) 源頼朝・土肥実平主従法要、焼亡の舞など |
土肥実平は、石橋山の戦いに敗れた源頼朝を守り、真鶴から安房へ逃すのに貢献した武将。 JR湯河原駅周辺にあったという館を拠点に小田原周辺までを領地として「早川殿」と呼ばれていました。 戦国大名の小早川氏は土肥郷の出といわれ、実平の子遠平が「小早川」を称したのが始まりなのだといいます。 また、後北条氏の居城となった小田原城は、遠平の小早川城が始まりとされています |
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1180年(治承4年)8月17日に挙兵して伊豆国の目代山木兼隆を討った源頼朝は、8月20日、相模国へ進軍し、23日には石橋山に布陣しました。 しかし、翌朝には大庭景親、伊東祐親らの平氏軍に敗れ、実平の案内で山中に逃れます。 そのとき、頼朝が隠れ潜んだのが「しとどの窟」だといわれています。 |
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頼朝は、一時、箱根権現を頼りますが間もなく土肥郷へと戻り、8月28日、真鶴から安房へと船出しました。 安房で態勢を立て直した頼朝は、10月6日、相模国に入り、鎌倉を本拠とします。 |
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行列の武者達は源氏の白旗を掲げていますが、一人だけ平家の赤旗を掲げている者がいます。 その名は石橋山で敗れ、山中に隠れ潜んでいた頼朝を見逃したという梶原景時。 |
「焼亡の舞」(じょうもうのまい)は、伊東祐親が土肥館に火を放ち、これを山上から見ていた土肥実平が「めでたい」といって舞ったものだといいます。 |
神奈川県足柄下郡湯河原町宮下359-1 JR湯河原駅から徒歩15分 |
城願寺は、土肥実平が再興した土肥一族の菩提所。 七騎堂には、源頼朝をはじめとする頼朝の挙兵に従った安達盛長、岡崎義実、新開忠氏、土屋宗遠、土肥実平、田代信綱が祀られています。 |
神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252 JR湯河原駅から徒歩10分 |
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