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城願寺(じょうがんじ)は、土肥郷(現在の湯河原町、真鶴町)を本拠としていた武将土肥実平の持仏堂を始まりとする寺院。 実平は、1180年(治承4年)の石橋山の戦いで敗れた源頼朝を庇護した「頼朝七騎」の中心人物。 密教寺院だったが、南北朝期に雲林清深が再興して臨済宗に改め、師で南禅寺や建長寺に住持した清拙正澄を勧請開山とした。 五山十刹に次ぐ諸山に列せられていたのだという。 戦国期に大州梵守(海蔵寺三世)が再興して曹洞宗に改められた。 土肥一族の墓所があり、ビャクシンの古木は実平お手植えとされる。 毎年4月の第一日曜日に行われる「土肥祭」では、土肥実平と源頼朝主従の法要が行われ、「焼亡の舞」(じょうもうのまい)が奉納される。 |
※ | 勧請開山は、実際に開いた僧が、師を開山とすること。 |
城願寺の山号は「萬年山」。 萬年の世までも家運が栄えるようにという実平の願いが込められている。 |
城願寺からJR湯河原駅周辺にいたる地は、土肥実平の館があったとされている。 |
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境内に聳えるビャクシンは、実平お手植えと伝えられる古木(国の天然記念物)。 七騎堂には、源頼朝が真鶴から安房へ渡る際に従った「頼朝七騎の像」が祀られている。 |
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墓所の五輪塔四基は、実平夫妻と嫡男の遠平夫妻のものと伝えられている。 |
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4月第一日曜日の土肥祭では、五所神社から源頼朝の武者行列が出発し、城願寺で供養が行われ、実平が土肥館が焼かれるのを見て舞ったという焼亡の舞が奉納される。 |
神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252 JR湯河原駅から徒歩10分 |
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