|
城願寺からJR湯河原駅周辺にいたる地は、土肥実平の館があったとされている。 実平は、石橋山の戦いで敗れた源頼朝を庇護した「頼朝七騎」の中心人物。 城願寺は、平安時代からあったとされ、実平の持仏堂をその始まりとする。 密教寺院だったが、南北朝期に雲林清深が再興して臨済宗に改め、師で南禅寺や建長寺に住持した清拙正澄を勧請開山とした。 五山十刹に次ぐ諸山に列せられていたという。 戦国期に大州梵守(海蔵寺三世)が再興して曹洞宗に改められた。 土肥一族の墓所があり、ビャクシンの古木は実平お手植えとされる。 毎年4月の第一日曜日に行われる「土肥祭」では、土肥実平と源頼朝主従の法要が行われ、「焼亡の舞」(じょうもうのまい)が奉納される。 |
※ | 勧請開山は、実際に開いた僧が、師を開山とすること。 |
土肥実平 |
七騎堂 |
七騎堂には、 源頼朝が真鶴から安房へ渡る際に従った「頼朝七騎の像」が祀られている。 |
土肥祭 |
焼亡の舞 |
4月第一日曜日の土肥祭では、五所神社から源頼朝の武者行列が出発し、城願寺で供養が行われ、実平が土肥館が焼かれるのを見て舞ったという焼亡の舞が奉納される。 |
ビャクシンは、実平お手植えと伝えられ、樹齢800年と推定される国の天然記念物。 |
神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252 JR湯河原駅から徒歩10分 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|