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やすらはで 思ひ立ちにし 東路に ありけるものか はばかりの関 |
「ためらいもせずその気になってやって来た東路に、まさかはばかりの関があるとは・・・」 995年(長徳元年)、陸奥守に任ぜられ、東国へと下った藤原実方が詠んだ歌。 実方は、藤原行成へのあさはかな行為がもとで一条天皇の怒りにあい陸奥に左遷されたといわれるが・・・ 左遷された者が「やすらはで」(ためらいもせず)に赴任するだろうか??? 陸奥に行けば「はばかること」から解放されると期待していたらしい。 |
※ | 隆家は、藤原道隆の四男、翌年、兄の伊周とともに長徳の変を起こして左遷されている。 |
陸奥守に左遷の藤原実方と蔵人頭に昇進の藤原行成の逸話 |
藤原実方が赴任したのは、陸奥国府や鎮守府が置かれていた多賀城。 |
実方は赴任から3年後の998年(長徳4年)12月13日、佐具叡神社の神罰で死去したと伝えられている。 里人に「下馬して参拝してから通るように」と言われていたにもかかわらず、乗馬のまま通って落馬したのだとか。 佐具叡神社の跡地には藤原実方の墓が建てられている。 都に未練を残したまま亡くなった実方は、死後、雀となって都に戻ったという伝承がある。 |
雀塚は藤原実方の供養塔。 勧学院の観智上人の夢の中に雀が現れて、実方だと名乗り、自分の為に読経をしてほしいと頼んだのだという。 翌朝、その雀が死骸が見つかり、観智上人は雀塚を建てて実方を供養したのだとか。 勧学院に建てられた実方の雀塚は、勧学院を前身とする更雀寺に移されている。 |
入内雀・実方雀~雀となって都に現れた藤原実方~ |
上賀茂神社の末社橋本神社には実方が合祀されているらしい。 『徒然草』によると、死後、その霊が御手洗川に映ったのだとか。 |
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