紫式部「光る君へ」


呪詛された藤原道長


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 1008年(寛弘2年)9月11日、藤原道長土御門邸では長女の彰子一条天皇の第二皇子・敦成親王を出産するが・・・

 翌年正月、一条院内裏で祈祷の際に用いられる道具が発見され、藤原伊周らが道長彰子敦成親王を呪詛していたのではないかという噂が流れた。

 彰子が敦成親王を生んだことで、妹の定子が生んだ敦康親王の立太子の望みが薄くなってしまっていたため、伊周が疑われたらしい。

 事件は、加持祈祷の呪詛をした僧・円能が捕えられ、厳しい拷問が行われた結果・・・

 犯人は、伊周の叔母・高階光子と伊周の家人・源方理と判明。

 二人は官位を剝奪され、伊周は公務を停止されている。

 伊周は6月には許されているが、翌年正月28日、37歳で没している。



高階光子は、伊周の母高階貴子の妹で敦康親王の乳母だったともいわれる。

源方理は長徳の変で伊周に連座して昇殿が禁じられていた。



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一条院跡
リンクボタン一条院跡

 一条院は、道長の姉で一条天皇の生母・藤原詮子に献上された邸宅。

 1005年(寛弘2年)11月、内裏が焼失したため、一条天皇彰子東三条殿に遷った後、一条院に遷御した。

 内裏が再建された後も一条天皇は還御せず、一条院で崩御している。 





(参考)

 『古今著聞集』によると、藤原道長に奈良から毒入りの瓜が送られてきたのだという。


リンクボタン瓜に毒があることを占った安倍晴明~道長の毒瓜説話:古今著聞集~










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