瓜に毒があることを占った安倍晴明 |
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『古今著聞集』によると・・・ 藤原道長が、飲食・行動を慎み、不浄を避ける物忌での出来事。 奈良から早瓜が届けられた。 その場には・・・ 解脱寺の僧・勧修。 医師の丹波忠明。 武神と呼ばれた源義家。 そして安倍晴明がいた。 物忌み中に物を受け取るのはどうかということになり、晴明が占うと、瓜の一つに毒があると出た。 勧修が祈祷をすると一つの瓜が動き始めた。 その瓜に忠明が針を刺すと動かなくなった。 義家が刀で割ると・・・ 中には、忠明の針が両目に刺さった小蛇がいたが、義家の刀で頭は切り落とされていたのだとか。 |
勧修は、比叡山で学び、道長の姉詮子が建立した解脱寺に住持。 |
園城寺の長官を務めた勧修は、道長が藤原氏の陵墓・宇治陵に建立した浄妙寺の開山となっている。 |
源義家は、道長四天王のひとり源頼信の孫。 ただ、道長の時代に義家は生まれていないのかも・・・ |
安倍晴明は、花山天皇・一条天皇・藤原道長の信任を得た陰陽師。 晴明神社は、一条天皇が晴明の偉業を讃えるために、晴明の屋敷跡に創建。 |
晴明は、1005年(寛弘2年)9月26日に85歳で没したといわれ、嵯峨に葬られたのだと伝えられている。 墓所では、命日には嵯峨墓所祭が斎行されている。 |
1009年(寛弘3年)正月、藤原道長と長女の彰子、そして彰子が生んだ敦成親王(のちの後一条天皇)を呪詛する事件が発覚。 犯人は、藤原伊周の叔母・高階光子(伊周の母高階貴子の妹)。 光子は、一条天皇の皇后・定子が生んだ敦康親王の乳母だったといわれる。 |
呪詛された藤原道長~首謀者は藤原伊周の叔母・高階光子~ |
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