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解脱寺閼伽井之碑
〜藤原詮子建立〜


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解脱寺閼伽井之碑


 解脱寺は、藤原詮子が建立した寺。

 園城寺の勧修が住持し、藤原行成の『権記』によると、1002年(長保4年)に常行三昧堂が建立され、9月17日に供養が営まれている。

 詮子の弟藤原道長も勧修に帰依していた。

 1026年(万寿3年)、藤原行成とともに一条天皇四納言と呼ばれた藤原公任は解脱寺で出家。

 解脱寺の北方の山荘に隠棲したのだという。

 解脱寺は、室町時代までは存続していたらしいが、その後廃寺となった。

 閼伽井之碑は、1867年(慶応3年)に聖護院門跡雄仁入道親王が建立したもの。





浄妙寺想像図
リンクボタン浄妙寺
(宇治陵)

 解脱寺に住持した勧修は、比叡山で学び、園城寺の長官を務め、道長が藤原氏の陵墓・宇治陵に建立した浄妙寺の開山となった。

 勧修は、瓜に毒があることを占った安倍晴明の伝説にも登場する。



リンクボタン瓜に毒があることを占った安倍晴明〜古今著聞集〜











解脱寺閼伽井

京都市左京区岩倉長谷町



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