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鶴岡八幡宮本宮の西側の小高い丘(丸山)の上にある神社。 鶴岡八幡宮が鎮座される以前からあったといわれている神社で、大臣山に祀られていたが、鶴岡八幡宮造営の際に現在地へ遷されたといわれている。 そのため、「地主稲荷」とも呼ばれている。 鶴岡八幡宮境内にある最も古い建造物で、室町中期のものと伝えられ、国の重要文化財に指定されている。 |
倉稲魂神 (うかのみたまのかみ) |
現在の本殿は、1500年(明応9年)に造営されたものといわれ、一部の部材にはそれより古いものも含まれているらしい。 『鶴岡事書日記』には、1398年(応永5年)に初めて檜皮葺で造替されたとの記録が残されている。 もとは西の鳥居の下に祀られていた夷堂の本殿だったと考えられ、夷堂は、1591年(天正19年)に豊臣秀吉が作らせた「鶴岡八幡宮指図」にも、本宮回廊の西側に描かれている。 江戸時代に柳営社(源実朝を祀る社)と改称され、19世紀後半になって丸山稲荷社の本殿として現在地に移築された。 ※柳営社は、源頼朝を祀る白旗神社に合祀されている。 |
初午祭 2月の初午の日 |
火焚祭 11月8日 |
初午祭では、春の農作業開始の前に、豊作が祈願され、巫女の舞が奉納される。 火焚祭では、五穀豊穣を感謝し、氏子の無病息災を祈る神事が執り行われ、「鎌倉神楽」が奉納される。 |
稲荷神社は、我が国で一番多い神社といわれ、もとは文字通り「穀物・農業」の神として崇められていた。 中世以降に各種の産業が発展するようになると、商人や武家からも尊崇されるようになり、現在では、産業全般の神となっている。 |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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