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1591年(天正19年)に豊臣秀吉が作成させた「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」(修理の設計図)をもとに作られた模型(鶴岡文庫に展示)。 |
※ | 現在は写真撮影不可かもしれません。 |
豊臣秀吉が描かせた絵図。 1591年(天正19年)5月14日、 秀吉の奉行、増田長盛・山中長俊・片桐直倫が作成した。 この絵図に描かれている配置は、 北条氏綱の天文再興時の鶴岡八幡宮の配置だったと考えられ、鎌倉期の鶴岡八幡宮の様子が窺うことができる貴重な資料。 絵図に基づく修理を命じられたのは徳川家康。 |
流鏑馬馬場まで回廊で囲まれていた。 |
下宮の東側には、経蔵、千体堂、御本地堂、鐘楼が配置され、西側には、五大堂、北斗堂が配置されている。 |
1590年(天正18年)7月5日、小田原城を開城させた豊臣秀吉は、奥州平定へ向かう途中の7月17日、鎌倉に立ち寄り、鶴岡八幡宮を詣でたのだという。 その折、白旗神社に安置されていた源頼朝像に天下を語ったという逸話が残されている。 |
源頼朝によって設けられた供僧二十五坊は、室町時代には七院にまで減少していたが、徳川家康の修理で五院が復興されて十二院となっている。 |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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