|
清水観音堂は、1631年(寛永8年)、寛永寺の開山の天海の創建。 京都の清水寺を模して建立された。 本尊の千手観音は、恵心僧都の作で、平家の家人だった平盛久が清水寺に奉納したものなのだとか。 創建地は擂鉢山(すりばち)だったが、根本中堂の創建に伴い、1694年(元禄7年)に現在地に移築。 上野の山に現存する創建年代の明確な建造物のうちで最古(重要文化財)。 |
比叡山横川の恵心堂(恵心院)は、藤原兼家が建立。 ここで、元三大師として知られる良源の弟子で恵心僧都と呼ばれた源信が修行をして『往生要集』を著した。 源信は、紫式部の『源氏物語』の最後の十帖「宇治十帖」(手習の巻)に登場する横川の僧都のモデルとも言われる。 |
平盛久は、壇ノ浦の戦い後に捕らえられ、鎌倉の由比ヶ浜で斬首の刑と決まっていたが、処刑前夜に観音菩薩の霊夢を見た。 処刑当日、盛久が持っていた経巻から光が発散し、処刑人は目が眩んで振り上げた刀を落とし、太刀も2つに折れてしまった。 それを聞いた源頼朝は、盛久の罪を許したのだとか・・・ 頼朝は熱心な観音信者で、守り本尊は清水寺から賜った聖観音像だったのだという。 観音菩薩は、北条政子の夢に現れて盛久を助命するよう告げたのだとも伝えられている。 |
観音信者だった源頼朝〜守り本尊は清水寺から授かった正(聖)観音像〜 |
清水寺の本堂(清水の舞台)は懸造という手法で建てられている。 寛永寺の清水観音堂も懸造で舞台がある。 |
清水観音堂の本尊千手観音は、清水寺の義乗院春海が三代将軍徳川家光に献上したものと伝えられ、清水観音堂には義乗院春海の位牌が置かれている。 |
清水観音堂の千手観音は、2月の初午法楽の日のみに開帳される秘仏。 これは、平盛久の身に不思議な現象が起こったのが、午の年・午の日・午の刻だったことによる。 |
主馬盛久頸座は、捕えられた平盛久が処刑されそうになった場所。 |
清水観音堂の舞台からは、不忍池にある辯天堂が見える。 |
【清水観音堂所在地】 東京都台東区上野公園1−29 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|