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小動岬から稲村ヶ崎までの七里ヶ浜沿いの道は、「関東ふれあいの道」の一部。 七里ヶ浜は、小動岬と稲村ヶ崎との間の約2.9qの砂浜で、かつての旅人が打ち上げられた海藻の香りをかぎながら夢の鎌倉を目指した古道。 『金兼藁』によれば、 二十余町の海浜を歩くのは平地の七里を歩くのと同じくらい難儀することなので、「七里灘」(しちりなだ)と名づけたのだという。 『新編鎌倉志』では、 稲村ヶ崎から腰越までを「七里浜」(しちりばま)と呼んでいる。 |
関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)は、関東地方、一都六県(東京都、埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県、千葉県、神奈川県)をぐるりと一周する長距離自然歩道。 その中の「稲村ヶ崎・磯づたいのみち」は、若宮大路から、海岸沿いの国道を由比ヶ浜、稲村ヶ崎、七里ヶ浜、江ノ島と、古都鎌倉の海の名所をだどるコース。 |
小動岬 |
小動神社 |
七里ヶ浜 |
鎌倉高校前駅 (関東の駅100選) |
日 坂 (新田義貞の古戦場) |
ハマヒルガオ (七里ヶ浜に自生) |
※ | 江ノ電鎌倉高校前駅から鎌倉高校正門へと上る坂は、鎌倉を攻める新田義貞軍が通った古道 |
金洗沢 (関所跡) |
日本バレエ発祥の地 |
行合橋 |
西田幾多郎歌碑 |
西田幾多郎歌碑は、稲村ヶ崎に移されています。 |
極楽寺の忍性よって極楽寺切通が切り開かれる前までは、稲村ヶ崎の先端を通って鎌倉への出入りが行われていた(稲村路)。 『海道記』には、「稲村といふ所あり。さかしき岩のかさなり臥せる浜をつたひ行けば、岩にあたりてさきあがる浪の花の如くにちりかかる」とある。 『吾妻鏡』にも稲村路を通行したとする記載が多く、1252年(建長4年)の記事では、六代将軍となるため下向した宗尊親王が稲村ヶ崎を通って鎌倉に入り、浜鳥居の西を経て下馬に至ったことが書かれている(参考:塔ノ辻)。 |
稲村ヶ崎は新田義貞の龍神伝説で知られている古戦場。 尋常小学校の唱歌「鎌倉」にも「七里ヶ浜の磯づたい稲村ヶ崎名将の剣投ぜし古戦場」と歌われている。 七里ヶ浜は、砂鉄が多く採取できた浜。 鎌倉で鍛冶産業が盛んになったのはそのおかげだといわれている(参考:砂鉄の浜)。 |
童謡・唱歌「鎌倉」 鎌倉の古道 |
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