|
ロシア人のエリアナ・パブロバは、日本にバレエを伝えた人物。 ロシアのバレリーナだったが、1917年のロシア革命後日本に亡命し、1924年(大正13年)から鎌倉の七里ヶ浜に住んだ。 134号線沿いに日本で初めてとなるバレエスクールを開設し、多くの教え子を育てた。日本に帰化し霧島エリ子と名乗っている。 1941年(昭和16年)、日本軍の慰問に訪れた南京で病死した(42歳)。 |
バレエスクールは、バブロバの死後も母ナタリアと妹ナデジタがによって続けられていたが、1982年(昭和57年)、ナデジタの死とともに閉鎖された。 その後、1996年(平成8年)まで鎌倉パブロバ記念館として公開されていたが、現在は個人邸宅となっている。 |
稲村ヶ崎・磯づたいの道 七里ヶ浜 |
七里ヶ浜は、稲村ヶ崎から小動岬までの約2.9qの海岸。 日本の渚100選の景色。 |
|