鎌倉手帳(寺社散策)

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金 洗 沢
〜七里ヶ浜の重要地:鎌倉〜

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金洗沢


 江ノ電七里ヶ浜駅鎌倉高校前駅との間に設けられた待避線の辺りは「金洗沢」(かねあらいざわ)と呼ばれた場所。

 『新編鎌倉志』によると金が採掘されたことから付けられた名だという。

 1182年(寿永元年)、源頼朝江の島参詣の帰りに牛追物を催し、1200年(正治2年)には、二代将軍源頼家が「大庭野の狩り」の帰りに宴を催したという。

 また、1221年(承久3年)、『海道記』の著者とも考えられている源光行が、承久の乱後鳥羽上皇方に味方したことで処刑されそうになったのも金洗沢だという。

 このとき光行は、子の助命嘆願によって助かっている。









源義経の鎌倉凱旋を
阻止するための関所


 1185年(元暦2年)、壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経は、平宗盛を護送して鎌倉へ凱旋しようとする。

 しかし、兄の源頼朝は金洗沢に関所を設け、義経が鎌倉に入ることができないようにした。

 義経は、腰越の満福寺から世にいう「腰越状」を書いて弁明するが、頼朝の許しを得ることはできず京に帰ることになる。



〜頼朝の怒りをかった原因・・・〜

頼朝の許可なく官位を受けたこと。

軍監梶原景時の意見を聞かず独断専行の振舞いがあったこと。

 が主な理由。

 その他、九州の源範頼の軍に対する越権行為、配下の武士の成敗なども取り上げられている。


源義経
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〜七瀬祓の霊場〜

 「七瀬祓」とは、七ヶ所の海や川で行われた禊(みそぎ)のこと。

 『吾妻鏡』には、由比ヶ浜・金洗沢池・片瀬川・六浦・柚川・杜戸・江島龍穴で雨乞いの七瀬祓が行われてという記録がある。








歴史めぐり源頼朝




七里ヶ浜
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七里ヶ浜は、稲村ヶ崎から小動岬までの海岸。

江ノ電で鎌倉





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