|
横浜市金沢区の太寧寺(たいねいじ)は臨済宗建長寺派の寺院。 本尊:薬師如来 源範頼のものといわれる五輪塔がある。 範頼は、1193年(建久4年)に源頼朝が催した富士裾野の巻狩りで起こった曽我兄弟の仇討ち事件がもとで、謀反の疑いをかけられ伊豆修禅寺に幽閉された。 後に、梶原景時に攻められ自害したと伝えられているが、各地に「範頼生存説」が残されている。 その一つが太寧寺に残されている伝説。 |
伝説によると、源範頼は修禅寺を脱出し、浦郷鉈切(横須賀市)に逃れたが、鎌倉に知られるところとなり、当時瀬ヶ崎にあった太寧寺で自害したのだという。 太寧寺は、範頼が瀬ヶ崎に創建した薬師寺を前身としているといわれ、薬師寺が称名寺門前に移転(現在の薬王寺)した後、薬師寺跡に太寧寺が建てられたのだという。 太寧寺という寺名は、範頼の法名「太寧寺殿」によるもの。 太寧寺には範頼の位牌が残され、『新編鎌倉志』によると薬王寺の住持が年号月日を書きつけたものなのだという。 1943年(昭和18年)の追浜飛行場拡張工事のため現在地に移転させられた。 |
信功院跡 |
源範頼の墓 |
修善寺の伝承では、源範頼は修禅寺の八塔司の一つ信功院に幽閉された後、梶原景時に攻められ自刃したのだと伝えられている。 |
太寧寺の薬師如来像は、鎌倉時代の造仏といわれ、2007年(平成19年)の解体修理で「目」という写経の一文字を切り取った紙片が発見されたことで知られている。 |
奈良国立博物館に収蔵されている十二神将立像は、太寧寺伝来といわれている。 鎌倉の覚園寺の前身である大倉薬師堂に祀られていた運慶作の十二神将像を模したものと考えられている。 大倉薬師堂は北条義時の創建。 祀られていた戌神将は、義時を危機から救った像として信仰されていた。 |
鎌倉の辻の薬師堂の戌神像は、大倉薬師堂の戌神像(運慶作)の模刻と考えられている。 |
源平合戦:源範頼の出陣 |
横浜市金沢区片吹61−5 045(781)0908 京急「金沢文庫駅」徒歩15分 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|