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伊豆修善寺の日枝神社参道にある庚申塔。 この場所には、源頼朝に謀反の疑いをかけられた弟源範頼が幽閉されたという信功院があった。 信功院は修禅寺の八塔司の一つで、後に庚申堂となり、現在は庚申塔一基のみが残されている。 |
源範頼は、源頼朝の異母弟。 兄頼朝から謀反の疑いをかけられた範頼は、1193年(建久4年)8月17日、修禅寺に幽閉された後、間もなく梶原景時に攻められ自刃した。 |
源範頼には、修禅寺を逃れて生き延びたという伝説が各地に残されている。 |
埼玉県北本市の石戸蒲ザクラは、落ち延びた範頼の杖が根付いたものといわれている。 |
横浜市金沢区の太寧寺は範頼が自害した寺と伝えられている。 その他、埼玉県吉見町に隠れ住み子孫が吉見氏として続いたという説などがある。 |
息障院は、範頼の館跡とされる地に建てられた寺。 範頼が謀反を疑われて修禅寺に流された際、子の範円と源昭は、頼朝の乳母比企尼の嘆願により助命されて範頼館に住み、その子孫は吉見氏として続いたと伝えられている。 範頼の妻は、安達盛長の娘で比企尼の孫。 |
慈光寺は、源頼朝が伊豆の流人だった頃から信仰していた観音霊場。 助命された範円と源昭は、慈光寺に身を置き、別当を勤めたとも伝えられる。 源昭は深大寺(調布市)の別当も兼ねたのだとか。 |
伊豆箱根鉄道駿豆線「修善寺駅」より 修善寺温泉行バス。 「修善寺温泉」下車 すぐ隣は、弘法大師によって開創された曹洞宗の福地山修禅寺。 |
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