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多田満仲は、清和源氏の祖・源基経の子。 満仲の宝篋印塔は、高さ3.6メートルにもなる巨大なもので、永仁四年(1296年)の銘がある(国重文)。 塔身の北面に如来坐像が、南西東に胎蔵界四仏を表す種子が彫られている。 銘から、大和国の石工大蔵安氏の造立で、1300年(正安二年)に鎌倉極楽寺の忍性が供養の導師を勤めたとする石工心阿による追刻がある。 心阿は大蔵安氏の子で、安氏が製作の途上で死去したため、心阿がその跡を受け継いで完成させたのだという。 この宝篋印塔がなぜ多田満仲のものと伝えられているのかは定かではないが、満仲が作らせ、源義経が箱根神社に奉納したという源氏重代の太刀「薄緑」と関係があるのだろうか・・・。 |
※ | 源頼朝の先祖で河内源氏の祖源頼信は、多田満仲の子(参考:六孫王神社(京都))。 |
鎌倉の安養院にある良弁尊観の宝篋印塔も心阿の名が刻まれている。 |
箱根の宝篋印塔(多田満仲墓)と極楽寺の忍性(okadoのブログ) |
八百比丘尼の墓と伝えられる石造塔の残欠。 観応元年(1350年)の銘がある。 八百比丘尼は、800年も生きたという伝説が残されている若狭国の女性だが、この残欠がなぜ八百比丘尼の墓と伝えられているのかは定かではない。 |
石仏群 |
五輪塔 |
精進池の畔や国道1号線沿いの石仏群と、曾我兄弟と虎御前のものと伝えられる五輪塔。 |
1180年(治承4年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、箱根権現(箱根神社)の別当行実を頼って逃れた。 のちに頼朝は走湯権現(伊豆山神社)・箱根権現の二所と三嶋社を参詣する「二所詣」を始めている。 |
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80−1 伊豆箱根バス「元箱根」下車 箱根登山バス「元箱根港」下車 徒歩10分 |
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