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方違え(かたたがえ)は、外出または帰宅の際に目的地に方位神がいる場合、いったん別の方角へ行って一夜を明かし、翌日違う方角から目的地へ向かうこと。 方位神とは、陰陽道の方角を司る神。 方位神のいる方角に行くと神とぶつかってしまい良くないので、その方角を避けるという信仰。 方位神のいる方角を「方塞がり」(かたふたがり)といったらしい。 方位神は多数いたため、主に天一神(中神)がいる方角を避けたのだという。 天一神(てんいちじん)は、天と地との間を往復し、四方を規則的に巡るとされ、天一神のいる方角を犯すと祟りがあるとされた。 北極星の精ともいわれる。 |
東山区の大将軍神社は、陰陽道において方位の吉凶を司る「八将人」の一つ大将軍を祀る社。 金星の精といわれる大将軍のいる所は万事にとって凶。 同じ方位に三年間留まるのだという。 藤原実資の『小右記』によると・・・ 1011年(寛弘8年)に崩御した一条天皇の遺骨は、東山の円成寺に安置された後、円融天皇の御陵あたり埋葬する予定だったが・・・ 西方に大将軍がいたため、三年間は円成寺に安置することにしている。 |
紫式部が結婚する前、方違えのため藤原為時の邸宅に訪れて泊まっていった男がいる。 『紫式部集』には、その男との贈答歌が収められているが、のちに夫となる藤原宣孝とする説がある。 |
紫式部の歌~方違えで泊まっていった男は藤原宣孝?~ |
蘆山寺は紫式部の邸宅跡とされている。 |
紫式部の『源氏物語』~帚木の巻~では・・・ 光源氏は、宮中の御物忌が終わって左大臣邸にいる正妻の葵の上を訪ねるが、宮中からみて左大臣邸は「方塞がり」なので、紀伊守邸に方違えしている。 そこで出逢うことになるのが空蝉(雨夜の品定め)。 |
物忌み~源氏物語にも描かれた陰陽道信仰~ |
平安時代には、節分に方違えをする風習があったらしい。 清少納言は、『枕草子』の「すさまじきもの」(興覚めなもの)の中に「節分の方違え」を挙げている。 |
清少納言 節分の方違え~「すさまじきもの」から「豆まき」に~ |
晴明神社は、花山天皇・一条天皇・藤原道長に信頼された陰陽師・安倍晴明を祀る社。 1007年(寛弘4年)、晴明の偉業を讃えるため一条天皇が創建。 |
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