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☆子育経読地蔵の名の由来☆ |
宝戒寺本尊の子育経読地蔵尊は、「宝戒寺門前で子供が生まれそうになったとき、子どもをとりあげる世話をしてくれた見知らぬお坊さんが地蔵の化身だった」とか、「毎晩夜中に聞こえる読経がお地蔵さまではないか」という伝説からこの名が付いたらしい。 |
☆10文落して50文を払う?☆ |
五代執権北条時頼に仕えていたとされる青砥藤綱という武将は、東勝寺橋で滑川に10文銭を落してしまったことから、家来に命じて50文の松明を買ってこさせ探させたという。 「10文を探すのに50文を払うとは損だ」と笑われた藤綱は、「銭がそのまま川の中にあったのでは永久に使用されることはない。それより50文で松明を買えば10文は返ってくるし、商人も儲かる」と言って笑ったらしい。 |
☆鎌倉殿中問答☆ |
十四代執権北条高時は、日蓮の弟子の日朗に幕府殿中で諸宗派との問答対決をするよう命じた。 しかし、日朗は、高齢のため門下の日印を討論に向わせ問答対決を行わせることとした。 日印は、諸宗派をことごとく論破し、高時より題目宗の布教を許されたという(題目=南無妙法蓮華経)。 |
☆源頼朝が祀った夷神☆ |
日出は、日蓮の教えに入り、夷堂での布教を続けていたが、ときの鎌倉公方の足利持氏に捕らえられ、刑場に引き連れられた。 しかし、持氏の夢枕に夷神があらわれ「日出を殺すな」と告げたという。 日出は無罪放免となったばかりか、本覚寺の建設資金まで賜った。 源頼朝が祀った夷神に言われては持氏も仕方ないといったところであろうか。 |
☆桟敷の尼のぼたもち☆ |
日蓮が、処刑場である龍ノ口(藤沢市片瀬)に護送される途中、「桟敷の尼」が、「胡麻入りのぼた餅」を捧げた。 その後日蓮は、奇跡的に処刑を免れたことから、「頸つぎのぼた餅」という逸話が生まれ、「御首継ぎに胡麻の餅」といわれるようになった。 |
☆身代わり地蔵☆ |
ある日、北条時頼夫妻が「負けた方が裸になる」という賭けをして双六をしていた。 負けそうになった夫人が地蔵菩薩に念じたところ、裸の地蔵菩薩が双六盤の上に現れ、夫人の身代わりになったという。 延命寺の地蔵菩薩像は、「生きている仏に会いたい」という信仰から裸の姿をしている。鎌倉二十四地蔵の一つ。 |
☆狸の墓☆ |
江戸時代の終わりごろ、延命寺に人に慣れた狸が住みつき、酒好きの和尚のために買い物にでかけたりして、可愛がられていた。 狸が死ぬと里人たちは碑を建てて供養したという。その碑が延命寺の墓地にある「古狸塚」だ。 |
☆鬼子母神☆ |
その昔、鬼が千匹の子をもっていた。 その子たちには、毎日、人間の肉を食べさせていたという。 ある日、その中の一匹がいなくなってしまった。どう探してもみつからない。 実は、お釈迦さまが隠したのである。 お釈迦さまは、母鬼に「食べられた人間の家族は、みな嘆き悲しむ。これからは、ざくろの実が人間の肉の味に似ているから、それを食べさせるように」と言ったそうだ。 それからは、鬼は子どもたちの守り神となり、人々は、ざくろの実をお供えするようになった。 大寶寺では、5月9日に子育て鬼子母神祭が行われている。 |
☆松葉ヶ谷法難☆ |
松葉ヶ谷の焼き討ちから日蓮を救い出したのは白い猿だったという。 この白猿は日蓮を「お猿畠」に連れていき、山中の生姜を日蓮に捧げたといわれている(松葉ヶ谷法難)。 |
☆鎌倉五名水「日蓮乞水」☆ |
長勝寺から名越切通に至る途中には、鎌倉五名水の一つ「日蓮乞水」がある。 日蓮が名越切通を越え鎌倉に入ったときに、水を求め、持っていた杖で地面を突き刺したところ湧き出したとされる。 |
☆産女霊神「おんめさま」☆ |
大巧寺の第五世の日棟が、早朝、妙本寺に参るため滑川を渡ると、ひとりの女が泣いていた。 女の髪は乱れ、血だらけの衣服を着て、赤ん坊を抱えていたので、どうしたのか日棟が尋ねると、「難産で死んだのだが、川の水がきたない血になって渡れず、子どもが乳房に吸いついて泣くので苦しくてたまらない」と答えた。 日棟が仏の教えを説き、経を唱えさせると、女の姿がなくなったということだ。 それから数日後、女が日棟の前に現れ、苦しみを取り除いてくれたお礼にと、生前に蓄えたというお金を持ってきた。 日棟は、このお金で、この女をお産を守る「産女霊神」として大巧寺に祀った。 女の持ってきたお金の包は、夫の秋山勘解由に確かめたところ、女が貯めていた包に間違いないということだったようである。 |
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