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亥鼻城(いのはなじょう・猪鼻城・千葉城)は、千葉常胤の父常重が築いた城。 常重は、上総国に平忠常が築いた大椎城(現在の緑区大椎町)を本拠としていたが、1126年(大治元年)、下総国(現在の中央区亥鼻町)に本拠を移した。 以後、亥鼻城は、13代にわたって千葉氏の拠点となった。 現在は亥鼻公園として整備され、1967年(昭和42年)に建てられた天守閣は、千葉市立郷土博物館として利用されている。 |
千葉氏は、平良文を祖とする坂東八平氏のうちの一つ。 |
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良文の孫忠常は房総平氏の祖で、母は平将門の娘。 千葉常胤とともに両平氏と呼ばれた上総広常も良文の子孫。 |
1180年(治承4年)8月17日、伊豆国で源頼朝が挙兵。 相模国へ進軍した頼朝は、8月24日の石橋山の戦いで大敗し、8月28日、真鶴から船出し、翌29日、安房国の平北郡猟島に上陸した。 9月4日、頼朝に参陣要請を受けた千葉常胤は、9月17日、300騎を率いて参陣。 その後、鎌倉を目指した頼朝軍は、10月2日には隅田川を渡って武蔵国に入り、10月6日、相模国に入った。 この時、先鋒を畠山重忠が、殿(しんがり)を千葉常胤が務めている。 頼朝に鎌倉入りを進言したのは、常胤だったのだと伝えられている。 鎌倉入りを進言した千葉常胤 |
※ | 千葉常胤が頼朝に味方したのは、子で園城寺の僧だった日胤が、以仁王の挙兵に従って平家に討たれていることから、日胤の仇討ちが目的だったという説もある。 |
千葉氏をはじめとする郷土の歴史に関する資料を展示。 |
神明社は亥鼻城の守護神として祀られていたのだという。 |
君待橋の碑 |
お茶の水 |
千葉神社 |
羽衣の松 |
千葉神社は、千葉氏の守護神・妙見菩薩を本尊とする妙見寺を始まりとする社。 羽衣の松の伝説に登場する天女は妙見菩薩だったとも。 |
千葉寺 |
大日寺 |
千葉市中央区亥鼻1-6 JR千葉駅より京成バス「大学病院」行で「郷土博物館」下車 千葉モノレール県庁前駅より徒歩10分 JR本千葉駅より徒歩15分 |
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