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千葉神社は、千葉氏の守護神・妙見菩薩を本尊とする寺院(妙見寺)として、平忠常が建てたのが始まりなのだという。 創建は1000年(長保2年)。 1180年(治承4年)、伊豆国で源氏再興の挙兵をし、安房国から上総国を経て下総国に入った源頼朝は、千葉常胤の案内で参拝したのだと伝えられている。 翌1181年(養和元年)には、鶴岡八幡宮の八幡神が勧請され、1247年(宝治元年)の宝治合戦で千葉秀胤が滅ぼされる頃まで祀られていたのだという。 1591年(天正19年)に参詣した徳川家康は、寺領を安堵し、太刀一振を寄進したと伝えられている。 江戸時代期には、北斗山金剛授寺尊光院と呼ばれたが、明治の神仏分離によって神社となった。 現在の社殿は、1990年(平成2年)に竣工した建物で、上下に二つの拝殿を有する我が国初の重層社殿。 |
天之御中主大神 (あめのみなかぬしのかみ) 経津主命 (ふつぬしのかみ) 日本武尊 (やまとたけるのみこと) |
※ | 妙見菩薩と天之御中主大神は、同一とみなされてきた。 |
羽衣の松の伝説に登場する天女は妙見菩薩だったとも。 |
千葉氏十三代当主氏胤の子酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)は、妙顕寺で真言密教を学んだ後、浄土宗の聖冏(しょうげい)に帰依。 徳川将軍家の菩提寺である芝増上寺は、聖聡が浄土宗の寺に改宗し、寺名を改めたのだという。 聖聡の母は新田義貞の娘と伝わる。 徳川家康は新田氏を祖と称していたらしい。 |
1182年(寿永元年)に勧請された菅原道真を祀る社。 千葉神社の摂社。 千葉神社の旧社殿であったことから北辰妙見尊星王の御神力も同時にいただけるとされている。 神紋(月星)に由来しての「ツキ(月)を呼び、勝(星)を拾う」という縁起の良さから参拝者が増え続けているのだとか。 |
本殿参拝後に、この井戸の水を一口いただくと、増福延寿の御利益が・・・ |
撫でると幸運が授かる岩。 |
1992年(平成4年)に造営された二つの橋は、「ねがい橋」と「かない橋」。 |
尊星殿は、1998年(平成10年)に竣工した楼門と社殿の複合建築物。 中央「福徳殿」・東「日天楼」・西「月天楼」・上階「開運殿」の四つに分かれている。 |
千葉県千葉市中央区院内1-16-1 JR千葉駅から徒歩10分 |
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