|
鶴岡八幡宮境内の鎌倉国宝館前に建てられている源実朝の歌碑。 関東大震災で倒壊した二の鳥居の柱が使用されたもので、1942年(昭和17年)、鎌倉文化連盟の建立。 |
「山はさけうみはあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」 |
『吾妻鏡』によると・・・ 1213年(建暦3年)2月27日、後鳥羽上皇と良好な関係を築いてきた実朝は正二位に叙された。 しかし、その直後の3月2日、泉親衡の北条義時打倒の企てが発覚し、この事件が和田合戦へと繋がっていくことに。 5月2日、北条義時打倒の挙兵をした和田義盛が滅亡。 和田合戦後の騒然たる状況の中、5月21日には大地震が発生。 「家屋は倒壊し、山は崩れ、地は裂ける」という状況だったのだという。 翌日には、京都から後鳥羽上皇が鎌倉に下向しようとする御家人を京中警護のために留まらせる措置を講じたことが報告される。 和田の残党が京都で反乱を起こすかもしれない中、実朝としては早急に後鳥羽上皇への忠誠を表明する必要があった。 この歌は、そんな状況の中で詠まれたものと考えられている。 「山が裂けて、海が干上がるような世であっても後鳥羽上皇を裏切ることはありません」 |
源実朝の努力によって良好な関係を保ってきた後鳥羽上皇との関係は、1219年(建保7年)1月27日に源実朝が暗殺されると急激に悪化し、1221年(承久3年)には承久の乱が起こる。 |
京都文化博物館特別展「よみがえる承久の乱」 |
三代将軍源実朝は、政治の実権は母北条政子や叔父北条義時に握られていたが、歌人としての才能を発揮し、その名を世に残した。 『金槐和歌集』は、実朝が編纂した家集。 |
3月の「献詠披講式」は、和歌に優れた源頼朝と源実朝を偲んで行われる神事。 |
8月の「ぼんぼり祭」の最終日は、源実朝の誕生日。 白旗神社では「実朝祭」が行われる。 「吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり」 |
10月28日には、白旗神社で源実朝の遺徳を偲ぶ「文墨祭」が行われる。 |
鶴岡八幡宮の献詠披講式〜和歌に精通した源頼朝と源実朝 歌人として名を残した三代将軍源実朝 |
「風さわぐをちの外山に雲晴れて桜にくもる春の夜の月」 |
2011年(平成23年)に流鏑馬馬場に植樹された「実朝桜」の横に建てられている碑にも、源実朝の歌が載せられている。 |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|