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「献詠披講式」は鶴岡八幡宮で行われる歌会。 源頼朝が「管弦詠歌の儀」を行ったという故事にちなんで2005年(平成17年)より始められました。 被講とは、詩歌に曲節をつけて詠み上げることで、平安時代より宮中に伝わってきた古式ゆかしい行事。 清少納言は『枕草子』に「長やかに詠み出づ」(長々と声を引いて歌を詠む)と記しています。 和歌は「披講」することを前提としているそうです。 これには、神仏と交感して、天下泰平・国土安穏を願うという意味があるのだとか。 鶴岡八幡宮では、諸役を務める神職が直垂に引立烏帽子という出立ちで行われます。 |
2024年は3月27日(水) 13:00〜 |
『吾妻鏡』によれば・・・ 1184年(寿永3年)4月4日、源頼朝は桜が満開の御所に妹坊門姫の夫一条能保を招いて花見を催し、「管弦詠歌の儀」を行っています。 1186年(文治2年)8月15日には、東大寺再建の勧進のため、奥州へ向かう途中の西行に歌道と弓馬の事について尋ねたといいます(西行と流鏑馬)。 源頼朝は、武家の都を創始しただけでなく、和歌にも優れた人物でした。 後鳥羽上皇の命により編纂された『新古今和歌集』には二首の和歌が載せられています。 「道すがら 富士のけぶりも わかざりき 晴るるまもなき 空のけしきに」 もう一首は慈円との贈答歌 「陸奥の いはでしのぶは えぞしらぬ ふみつくしてよ 壺の石ぶみ」 「壺の石ぶみ」は、頼朝が奥州征伐の際に立ち寄った多賀城跡にある石碑「壺碑」とされる(諸説あり)。 また、三代将軍源実朝は和歌の道に精進し、家集『金槐和歌集』を編纂しています。 |
「献詠披講式」は、 司会役の読師(どくじ)1名 全句を節をつけずに読む 講師(こうじ)1名 第一句から節をつけて歌う 発声 (はっせい)1名 第二句以下を発声に合わせて歌う 講頌(こうしょう)4名 によって進行されていきます。 披講される和歌は、実朝の一首と公募によるものだということです。 |
清少納言は『枕草子』にこう書き記しています。 「さて、春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある」 (毎年のことだからといって、春に咲く桜の花をどうでもいいと思う人がいるのだろうか。いや、そんな人はいませんね。) 紫式部の『源氏物語』〜花宴の巻〜では、紫宸殿の南殿の庭で桜の宴が催され、光源氏は「春鴬囀」を舞い、頭中将は「柳花苑」を舞っています。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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