|
四天王寺は、聖徳太子建立の七大寺の一つ。 日本仏法最初の官寺。 日本に仏教が伝来すると、仏教信仰に反対する物部氏と賛成派の蘇我氏が対立、587年(用明天皇2年)になると武力闘争へと発展する。 その戦いで蘇我氏についた聖徳太子は、戦いの形勢不利を打開するために、自ら四天王像を彫り、 「もし戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立する」 と誓願し、勝利を収めたのだと伝えられている(593年(推古天皇元年))。 1000年(長保2年)、一条天皇の生母・藤原詮子が石清水八幡宮・住吉大社ととも参詣。 1023年(治安3年)には高野山参詣の帰りの藤原道長が参詣。 1031年(長元4年)には道長の娘・藤原彰子が華やかな行列を組んで石清水八幡宮・住吉大社とともに参詣。 『吾妻鏡』によると、1195年(建久6年)5月20日、東大寺の大仏殿落慶供養参列のため上洛していた源頼朝が参詣している。 |
宗旨:和宗(総本山) 本尊:救世観世音菩薩 |
四天王寺の伽藍は、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂が一直線に並び、諸堂が回廊で囲まれているもので、日本で最も古い建築様式。 |
中門 (仁王門) |
五重塔 |
金堂 |
講堂 |
石鳥居 |
西大門 (極楽門) |
義経よろい掛け松 |
北鐘堂 |
聖霊院 (太子殿) |
六時礼讃堂 |
平安中期の女流歌人で藤原道長の正妻・源倫子や倫子と道長の娘藤原彰子に仕えた赤染衛門は、四天王寺を参詣した時の歌を多く残している。 『赤染衛門集』には、西大門・聖霊院・金堂・亀井・五重塔などで詠んだ歌が載せられ、当時の四天王寺信仰を端的に表している。 |
六角堂(頂法寺)は、四天王寺建立のための用材を求めていた聖徳太子が念持仏の如意輪観音が動かなくなった地に建てた寺。 |
四天王寺は、法隆寺・広隆寺・法起寺・中宮寺・橘寺・葛木寺とともに聖徳太子建立七大寺に数えられる。 |
大阪市天王寺区四天王寺1−11−18 環状線、地下鉄御堂筋線・谷町線「天王寺駅」から徒歩12分 地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」から徒歩5分 近鉄南大阪線「阿部野橋駅」から徒歩14分 |
|