鎌倉手帳(寺社散策)

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妙 楽 寺
〜阿野全成ゆかりの寺〜


編集:yoritomo-japan.com








川崎市妙楽寺


 川崎市にある妙楽寺(みょうらくじ)は、851年(仁寿元年)に円仁が建立した威光寺の旧跡。

 『吾妻鏡』によると、1180年(治承4年)11月15日、源頼朝は源家数代の祈祷所である武蔵国威光寺の年貢を免除。

 19日には、異母弟の阿野全成に武蔵国長尾寺を与え所領を安堵している。

 全成が与えられた長尾寺と源家の祈願所だった威光寺は同じなのだという。

 妙楽寺の創建年代は不明だが、近年では威光寺と妙楽寺の関連が指摘され、威光寺の一院だったという可能性もあるらしい。

 妙楽寺の山号は「長尾山」

 本尊は阿弥陀如来。

 室町時代の薬師三尊像の日光菩薩像の胎内からは「武州立花郡太田郷長尾山威光寺」の墨書が発見されている。



川崎市妙楽寺
リンクボタンあじさい寺

 妙楽寺は「あじさい寺」として知られ、毎年6月の第三日曜日には「長尾の里 あじさいまつり」が開催されている。





〜阿野全成〜

 阿野全成は、河内源氏の棟梁源義朝の子。

 母は常盤御前

 源頼朝の異母弟。

 源義経の同母兄。

 1159年(平治元年)の平治の乱で父義朝が平清盛に敗れたため醍醐寺に入っていたが、1180年(治承4年)に頼朝が挙兵すると寺を抜け出し参陣。

 その後、北条時政の娘阿波局と結婚し、駿河国阿野庄を与えられ「阿野」を名乗り、千幡(のちの源実朝)の乳母夫となったが・・・

 頼朝なき後の1203年(建仁3年)、源頼家への謀反の疑いで捕らえられ、常陸国に流された後、下野国で八田知家に誅殺された。



阿野全成の墓
リンクボタン阿野全成の墓
(栃木県益子町)

 栃木県益子町の大六天の森にある五輪塔は、全成と従者のものと伝えられている。



阿野全成・時元の墓
リンクボタン伝阿野全成・時元の墓
(沼津市:大泉寺)

 沼津市の大泉寺は、全成の屋敷跡に建てられた寺。

 伝説によると、下野国で処刑された全成の首は、一夜のうちに駿河国の阿野庄へ飛んで行き、大泉寺の門前にあった松の木に引っかかったのだという。



阿野全成の誅殺


阿野全成の花押?








歴史めぐり源頼朝




川崎市妙楽寺
妙楽寺

川崎市多摩区長尾3−9−3

JR南武線「宿河原駅」・「久地駅」より徒歩20分
JR南武線/小田急線「登戸駅」より川崎市バス「登05または登06菅生車庫」行き「切通し上」下車徒歩10分



妙楽寺MAP
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。





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