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慈善救済事業に努め、幕府にも重用されて声望を得ていた極楽寺の忍性。 そんな忍性がたてたのが10種の大願。 |
1 | 三宝(さんぽう:仏・法・僧)を紹隆すること。 |
2 | 勤行・談義などを怠らないこと。 |
3 | 三衣一鉢(さんねいっぱつ:三種の衣と一つの鉢(食器))を持ち遊行にのぞむこと。 |
4 | 病気でない限り輿や馬に乗らないこと。 |
5 | 特定の檀那の保護を受けないこと。 |
6 | 孤独・貧窮・乞食人・病者・盲人等や牛馬の路頭に捨てられたものに憐れみをかけること。 |
7 | 道を造り橋をわたし井を掘り薬草・樹木などを植えること。 |
8 | 自分を怨み謗る者へも善友の思いをなすこと。 |
9 | 点心(間食)・調理に手間をかけた食物を断つこと。 |
10 | 願行功徳は一身にとどめず十方界の衆生に施与すること。 |
極楽寺の境内には、施薬悲田院・病宿・療病院などの救済施設を設置。 そして・・・ 1274年(文永11年)、飢饉で苦しむ難民を大仏ヶ谷に集め粥を施す。 1284年(弘安7年)、永福寺・明王院・鎌倉大仏の別当となり、寺院を修営。 伽藍修営は、全国で83ヶ所にのぼったといわれている。 1287年(弘安10年)、長谷寺と鎌倉大仏の中間辺りに桑ヶ谷療養所を開設し、多くの者の治療を実施。 1298年(永仁6年)、坂ノ下に馬病舎を設置。 その他、土木事業にも力を注いだ忍性。 一生の間に行った架橋は189ヶ所、道路修築は71ヶ所、井戸掘りは33ヶ所、浴室・療養所・乞食屋の設置は各々5ヶ所といわれている。 鎌倉七口の一つ極楽寺切通も忍性が開いたといわれる。 |
飢饉・天災と極楽寺・忍性の救済事業 極楽寺の千服茶臼〜忍性と茶〜 |
悲田院は貧しい人や孤児を救うための施設で、泉涌寺の悲田院は平安京にあった悲田院の後身と伝えられる。 |
極楽寺は真言律宗の寺院。 開山の忍性は社会事業に力を注ぎ「医王如来」と崇められた高僧。 |
鎌倉市極楽寺3−6−7 0467(22)3402 江ノ電「極楽寺駅」からすぐ |
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