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悲田院
京都:泉涌寺塔頭

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泉涌寺悲田院


 悲田院(ひでんいん)は、泉涌寺の塔頭。

 1308年(延慶元年)、無人如導が安居院に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺院として建立したことに始まる。

 室町時代には後花園天皇によって勅願寺とされ、後花園天皇の崩御の際には葬儀や荼毘が行なわれている。

 1645年(正保2年)、現在地に移転。

 本尊は阿弥陀如来。





〜悲田院〜

 悲田院は、身寄りのない子供や老人・貧しい人を収容する福祉施設。

 聖徳太子が四天王寺に設けたのが最初ともいわれ、723年(養老7年)には光明皇后が興福寺に施薬院と悲田院を設置した記録が残されている。

 平安京の悲田院は、左京・右京の東西に二つ設けられた。

 その一つは、1308年(延慶元年)、無人如導によって安居院に再興された。

 現在の大応寺の地に再建されたと考えられ、大応寺の近くには後花園天皇火葬怩ェある。





〜忍性〜

 奈良西大寺の叡尊を師とし、社会事業に力をそそいだ忍性は、各地に悲田院を開設。

 1267年(文永4年)には、鎌倉極楽寺の開山に迎えられ、以後37年間にわたって極楽寺で過し、医王如来と崇められた。



桑ヶ谷療養所
リンクボタン桑ヶ谷療養所跡碑
四天王寺石鳥居
リンクボタン四天王寺石鳥居


 忍性は、北条時宗の命により鎌倉の桑ヶ谷に療養所(桑ヶ谷療養所)を建て、多くの者を救った。

 大阪の四天王寺石鳥居は、1294年(永仁2年)に四天王寺の別当となった忍性が建て替えたもの。

 当時、極楽への入り口として信仰されていた四天王寺の西門付近には病人や乞食など救済を求める多く者が集まっていたのだという。

 忍性は、四天王寺の悲田院・敬田院を再興している。










泉涌寺
リンクボタン泉涌寺

 泉涌寺は皇室の菩提所として、天台・浄土・律・禅兼学の道場として栄えた。
 御寺の名で知られている。


京都市東山区泉涌寺山内町27

JR奈良線「東福寺」駅から徒歩
総門まで15分、大門まで20分



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