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甲府:長禅寺
〜大井夫人の菩提寺〜

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長禅寺


 長禅寺(ちょうぜんじ)は、巨摩郡大井荘(現在の南アルプス市)に武田氏庶流の大井氏が建立した寺。

 武田信玄の母・大井夫人は、長禅寺に岐秀元伯を招いて、信玄に『四書五経』『孫子』『呉子』などを学ばせたのだという。

 1552年(天文21年)、大井夫人が亡くなると、信玄は長禅寺を二分して甲府へ移転。

 甲府五山の一位としたのだという。

 大井荘の長禅寺は、古長禅寺と呼ばれて現存している。

 山号は瑞雲山。

 本尊は釈迦如来。

 臨済宗妙心寺派。



長禅寺本堂


長禅寺三重塔 長禅寺三重塔


長禅寺鐘楼 長禅寺四重塔


長禅寺総門









長禅寺北之坊霊廟
北之坊霊廟
(大井夫人の霊廟)


 大井夫人(大井の方)は、武田氏一門の大井信達の娘。

 武田信虎に嫁ぎ、晴信(信玄)・信繁・信廉を産んだ。

 信虎が信玄に追放された後も躑躅ヶ崎館に残り、剃髪して御北様・お北の御坊と呼ばれたのだという。


大井夫人の墓
大井夫人の墓


 1552年(天文21年)5月7日死去(享年56)。

 法名は瑞雲院殿月珠泉大姉。

 「絹本著色武田信虎夫人像」は、信廉が一周忌に描いた供養像(重要文化財)。

 信虎の菩提寺・大泉寺の安之玄穏の散文が寄せられている。





〜大井夫人が招いた岐秀元伯〜

 岐秀元伯(ぎしゅうげんぱく)は、臨済宗妙心寺派の禅僧。

 晴信(信玄)の学問の師となり、1552年(天文21年)に晴信が出家すると、「機山信玄」の法名を与えたのだと伝わる。

 1555年(天文24年)、信玄は大井荘の長禅寺を甲府に移し、岐秀を開山としたのだという(移転時期については諸説ある。)。



武田信玄の墓
リンクボタン武田信玄の墓

 躑躅ヶ崎館の麓にある武田信玄の墓には、「法性院大僧正機山信玄」の文字。

 信玄誕生の寺といわれる積翠寺の石柱にも「機山」の文字が見られる。

 「機山」の号を与えたのは恵林寺快川紹喜とする説も・・・





〜長禅寺二世の春国光新〜

 長禅寺二世となった春国光新は、1565年(永禄8年)、信玄の嫡男義信が謀反を企てたとして東光寺に幽閉された際、恵林寺快川紹喜東光寺の藍田恵青とともに信玄と義信の和解を試みたのだという。

 しかし、義信は1567年(永禄10年)10月19日、幽閉されていた東光寺で自刃。

 春国は、大井夫人の夫・信虎の菩提寺・大泉寺の「絹本着色武田信虎像」に散文を寄せている。


武田義信の墓
リンクボタン武田義信の墓
(東光寺)








甲府五山

武田信玄




長禅寺
長禅寺

山梨県甲府市愛宕町208

甲府駅南口から徒歩約15分



武田信玄をめぐる甲府
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