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大泉寺(だいせんじ)は、戦国時代に甲府を開いた甲斐武田氏十八代当主の武田信虎が1521年(大永元年)に創建。 開山は曹洞宗の高僧・天桂禅長。 山号は万年山。 本尊は釈迦如来。 |
京都宇治の萬福寺の総門と同じ、中央の屋根が高く、左右の屋根が低い牌楼式(ぱいろう)の中国的な門。 |
萬福寺総門 |
横浜中華街 |
武田信虎は、武田信玄の父。 1519年(永正16年)、甲斐武田氏二代の信光から続いた武田氏の本拠・石和館を甲府に移して躑躅ヶ崎館を築き、甲斐国を統一した武将。 1541年(天文10年)、信玄によって駿河国の今川義元もとに追放されて出家。 1560年(永禄3年)、桶狭間の戦いで義元が討死すると、上洛して将軍・足利義輝に奉公したのだという。 1574年(天正2年)、六男・武田信廉の居城・高遠城で死去。 |
大泉寺の霊廟には、信虎・信玄・勝頼三代の肖像が安置されている。 |
霊廟の背後にある信虎(中央)・信玄(右)・勝頼(左)の墓。 |
武田氏三代の霊廟には、曽我兄弟の供養塔が置かれている・・・ 信虎は、曽我五郎時致が甲斐国の国主として生まれ変わってくるという夢を見た。 |
信虎が目を覚ますと、要害山城(積翠寺)で大井夫人が男児を産んだという知らせが届いたのだとか・・・ |
大泉寺の北には、信玄の火葬塚。 1573年(元亀4年)、三河国侵攻中に病に倒れ、甲府へ帰る途中の信濃国伊那谷で死去した信玄は、躑躅ヶ崎館の麓の土屋昌続邸に埋葬された 3年後、菩提寺の恵林寺(甲州市)に改葬されている(信玄の墓)。 |
信虎の三男・信廉が描いた肖像。 信虎の正妻で信廉の母・大井夫人の菩提寺・長禅寺の春国光新の賛文が寄せられている。 |
山梨県甲府市古府中町5015 JR中央本線甲府駅から徒歩約20分 |
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