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夜の鶴 都のうちに こめられて 子を恋ひつつも なき明かすかな |
「夜の鶴は籠の中で子を思って鳴いたというけれど、私は都の内に足止めされて、子を恋い慕いながら泣き明かす・・・」 高階貴子が播磨国の明石に流された子の藤原伊周を思いながら詠んだ歌。 伊周は、995年(長徳元年)に父の藤原道隆が亡くなると、叔父の藤原道長と権力の座を争うが敗れ、翌年正月には花山法皇を襲撃して失脚(長徳の変)。 大宰権帥に左遷となったが、道長の計らいで播磨国に留まることが許されたのだという。 和歌と漢詩に秀でていた貴子は、白楽天(白居易)の「夜鶴憶子籠中鳴」を活かして、この歌を詠んでいる。 |
「中関白家」は、藤原道隆一族のこと。 道隆の嫡男・伊周は内大臣、四男・隆家は参議、長女の定子は一条天皇の中宮、次女の原子は東宮居貞親王(のちの三条天皇)の妃となったが・・・ 995年(長徳元年)に道隆が薨去すると中関白家は衰え、翌年、伊周とは隆家は左遷され、定子は出家、原子は後ろ盾を失った。 妻の貴子は、間もなく病に伏し、10月に薨去。 |
播磨国の明石は、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏が流れ着いた地。 『栄花物語』 ~浦々の別の巻~には 「かたがたに別るる身にも似たるかな明石の須磨も己が浦浦」 という伊周の歌があるが・・・ 『栄花物語』は、光源氏の須磨・明石への蟄居を参考に書かれたらしい。 |
藤原伊周の歌~播磨国左遷と栄花物語「浦々の別」~ |
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