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選子内親王(せんしないしんのう)は、村上天皇の第十皇女。 母は中宮・藤原安子(藤原師輔の娘)。 964年(応和4年)4月24日誕生。 生後間もなく母が崩御したため、伯父の藤原兼通のもとで育てられた。 12歳のときに賀茂斎院(斎王)に選ばれ・・・ 円融天皇・花山天皇・一条天皇・三条天皇・後一条天皇の五代にわたって斎院の任にあって大斎院と称された。 1031年(長元4年)に退下して出家。 1035年(長元8年)6月22日薨去(72歳)。 |
賀茂斎院(斎王)は、賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の娘)のこと。 選子内親王が斎王だった期間は歴代最長。 紫式部の『源氏物語』では、桃園式部卿宮の姫君・朝顔が斎王として登場している。 |
紫式部の『紫式部日記』や清少納言の『枕草子』によると、選子内親王は和歌などの文芸にも優れた見識を持っていた。 『発心和歌集』は、選子内親王の自撰和歌集。 斎王は仏教禁制であったため、和歌を通じて仏と結縁することを目的に編纂したのだという。 |
選子内親王は、皇后・定子や中宮・彰子の後宮サロンに並ぶ大斎院サロンを主導。 清少納言は『枕草子』に理想的な宮仕え先として、内裏・后宮・斎院御所を挙げている。 紫式部の『紫式部日記』には、弟の藤原惟規の恋人・斎院中将の手紙を読んで批判もしているが・・・ 選子内親王の人柄や、斎院御所が風雅で神々しさのあることは認めている。 |
賀茂別雷神社 (上賀茂神社) |
賀茂御祖神社 (下鴨神社) |
斎王が主宰していた賀茂祭(葵祭)は、上賀茂神社と下鴨神社の祭礼。 紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』にも登場する。 |
1010(寛弘7年)4月の賀茂祭でのこと。 一条大路の桟敷で斎院の行列を見物していた藤原道長は・・・ 桟敷の前を過ぎる選子内親王に二人の孫(のちの後一条天皇と後朱雀天皇)を抱えて 「宮たちを見てください」 と申し上げると、選子内親王は合図を送ったのだという。 |
賀茂斎院跡 (櫟谷七野神社) |
今宮神社若宮社 |
賀茂斎院は斎王の御所。 今宮神社の若宮社は斎王を祀る社。 |
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